雑食オタクの雑記帳

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これは花開く少女たちの物語【ご注文はうさぎですか?BLOOM・感想】

もう三月の半ばだ。多くの学校が卒業式を終えた頃だろう。アニメも改編期に差し掛かり、春期アニメの情報も揃いつつあるので次は何を見ようかと悩んでいる人も多いのではないかと思う。

さて、今回話したいのは数ヶ月前に放送された『ご注文はうさぎですか?BLOOM』(以下ごちうさ三期)についてだ。放送終了時から感想を書きたい書きたいと思っていたが、時間が取れなくて遅くなってしまった。

ごちうさ三期について結論から言うと、最高だった。私もアニメを見始めて結構な年月が経つが、ごちうさ三期はそのなかでも両手の指に入るぐらい最高のアニメであった。

以前投稿した記事ではざっくりとごちうさの魅力を語ってみたが、今回は三期の感想を軸にしつつ、改めてごちうさの素晴らしさについて深く掘り下げさせていただきたい。では本題に入ろう。

 

 

ついに頭角を現した物語の深み

現在、ごちうさはきららを知らない人でも名前を知るほどきららの代表的な作品なわけだが、その評価は専ら「女の子が可愛くほのぼのしてて癒される作品」というもので、ストーリーに関してはあまり評価されていなかった。それどころか「女の子が可愛いだけで内容がなく薄っぺらい」という批判もよく聞くほど、内容という点においてごちうさの評価は低かった。私から率直に言わせれば、それは単にその人がごちうさの真の魅力に気づいていないだけなのだが、とはいえごちうさを擁護する側からしても話の意外性は弱く、起伏に富んだ見応えのあるストーリーを求める客層に合わないのは認めざるを得なかった。

しかし、三期はこれまでとはひと味違った。いままでとはエピソードの密度が段違いなのである。その兆候は『ご注文はうさぎですか??~Dear My Sister~』、『ご注文はうさぎですか??~Sing For You~』のOVAシリーズに既に見られた。遡れば一期や二期も一部のエピソードにその片鱗を覗かせていたが、熱心なファン以外の視聴者をストーリーで引き付けるほどではなかった。

それと比較すると、三期はやはり一話一話のインパクトが凄かった。個人的に一話から十二話まで余すことなく見どころ満載だったが、ネットで感想を見る限り、反響が大きかったのは文化祭、ハロウィン、クリスマス辺りだろうか。どれもごちうさの素晴らしさが集約されたエピソードだが、特にハロウィン(Bパート)はハロウィンという文化本来の意義をエッセンスに描かれた家族愛がとても尊く、素直に心を打たれた。ティッピーの台詞に感極まって強く抱きしめるチノの姿にも掛けがえのない家族の絆を感じさせられたし、ココアとチノの母であるサキの霊が邂逅し、彼女に教えてもらった手品がチノの思い出と繋がる流れは非日常の妙を感じさせる。さらにアニメではハロウィン週間のお店や街の装飾が飛躍的にパワーアップしており、華やかで賑やかな雰囲気が画面に満ちていた。もはやキャラクターを抜きにしてもこの世界に入ってみたいと思わせる魅力が背景美術にあり、これだけでも作品の一つの魅力として独立しているだろう。

もちろん最初に言ったように、ハロウィンだけでなくすべてのエピソードに素晴らしさがあり、各話のテーマも比較的はっきりしているのでこれまでと物語の質が異なっている*1。なぜ三期はキャラの成長や変化が分かりやすくなっているかといえば、三期範囲にあたる二年目*2の夏の終わりから年末年始という期間が将来を意識していく時期だという点がまず間違いなくある。三話のチマメ隊がお嬢様学校の学校説明会に行く話や八話のリゼが進路で父親と喧嘩してラビットハウスに家出してくる話、九話の千夜が生徒会長候補に選ばれる話はダイレクトに将来に関わるものだ。それ以外にも将来を意識するようなシチュエーションが結構存在し、ごちうさはそれぞれがどんな未来を描いていくのか見守っていくという楽しみ方ができる。

ここまで三期の魅力が何に起因しているか、これまでと何が違うのかを大まかに語ってみた。そして、ここからもう一つ三期の内容について踏み込んだ話をしてみたい。それはごちうさの主人公的存在である、チノについてだ。

 

ご注文はうさぎですか?』はチノの成長譚である

ごちうさという作品には最初から一貫したテーマがあるように思う。そのテーマこそがチノの成長だ。

前項でチノをごちうさの主人公的存在と表現したが、一般的にごちうさの主人公はココアとされている。確かにココアが街にやってくるところから物語が始まり、ココアが物語で語り手を担うことも多いので、ココアが主人公であることに異論はないだろう。ただ、ごちうさは表主人公ココアと裏主人公チノのW主人公であることを個人的に主張したい。というのも、ココアとチノは主人公として異なる性質をしているからだ。

ごちうさのテーマとして考えられるのは「友情」「家族愛」「愛郷心*3」などがあると思う。これらの要素は多くの人が持ちうるものであり、作中でも濃淡の差はあれそれぞれがこのテーマを背負っているが、主人公であるココアとチノは作品のテーマから見ても物語の中心に存在している。ココアは「田舎から上京してくる」「新しい街でたくさんの人と出会って絆を深めていく」「モカの影響で姉に憧れておりチノと姉妹のような関係を築いていく」というように分かりやすくテーマに対応した要素を有している。対してチノも「母と祖父*4を亡くしている」「周りの人に支えられて少しずつ成長していく」と主人公らしい要素を備えており、初めに言ったようにチノの成長は作品の主題の一つだと私は思っている。これから本格的にそんなチノの話に移る前に、前述のココアとチノの主人公としての違いを説明しよう。簡単に言うと、ココアは「周りに影響を与えていく主人公」で、チノは「周りの影響を受けて成長していく主人公」だ。無論、ココアにも成長する要素はあるし、チノも周りに影響を与えることもあるが、概ね主人公の特性は直前に記した通りである。主人公における成長という要素の大部分をチノが担っているため、それが作品の主題たりえるのだ。

 チノの成長はごちうさの様々な要素が関わっている。それらを大別するなら「家族関係」「ラビットハウス三姉妹」「千夜・シャロとの看板娘という共通点*5」「チマメ隊」に分けられるだろう。チノは母や祖父を亡くした影響もあるのか、ココアと出会った当初は内向的な性格をしていた。それを伺わせるのが、原作二巻、アニメでは一期九話に当たる『青山スランプマウンテン』という回だ。この回ではチノが青山の万年筆を見つけたティッピーにこんな台詞を送った。

え 私が渡すんですか? それでもいいですけど…

おじいちゃんとティッピーがこうなった理由はよくわかりませんが

内緒にするのって窮屈じゃないですか?

おじいちゃんとしか話そうとしない私の事を思って内緒にする必要はもうないんですよ

だから 励ましてあげてください(チノ)

出典:ご注文はうさぎですか?・二巻p107

 ここでは何故かティッピーが喋らず、チノの台詞も含みのある謎が多いシーンとなっているが、過去のチノがどんな風だったのか少し想像することができる*6

そんなチノだが、作中でゆっくりとだが成長する姿を見せていく。先ほど引用した台詞もおじいちゃん子なチノが一つ大人になった表れだろう。ティッピーとの関係もやはり重要なポイントで、二期十一話にてみんなで山に行くのにティッピーと離れて街の外に出るというのはチノにとって貴重な経験になった。

そしてチノの成長を語るのに外せないのは言わずもがな自称姉のココアである。ごちうさのキャラで圧倒的なコミュ力を誇り、気づけば輪の中心にいるココアは、人見知りで引っ込み思案なチノとは対照的な存在だ。ココアと一緒に過ごすなかで、チノはその影響を受けて成長していく。DMSでは自分からみんなを花火大会に誘い、SFYでは音楽会で合唱のソロパートを見事にやり遂げるなど成長する姿を見せていたが、三期で彼女ははっきりとその変化を見せるようになる。

まず三期では表情が豊かになり無邪気に笑うことが目に見えて増えたのが、これまでと異なる点だ。いままでもドヤ顔や控えめに笑うことはあったが、三期だと年相応の可愛らしい笑顔が多く見られた。私が印象的だったのは八話Aパートで、リゼ特製のスタンプにウキウキして屈託のない笑みを浮かべるチノに初見の際は軽く感動してしまった。他に表情に関連したことだと、六話でチノが頭に乗せたワイルドギースやあんこに合わせた顔芸をしてココアたちをからかう場面も以前じゃ考えられなかった光景だろう。何というかチノに対して保護者目線の感動を感じてしまう。

そして、行動力という点でも三期では成長の証を見せていた。それが顕著だったのは六話にてチノが柔軟で朗らかな接客でお客さんを笑顔にするところと、十話の最後に千夜とシャロへ助けを求めて電話を掛けるところだ。どちらも勇気のいる選択で誰でも決断できるわけではない。以前の内向的なチノだったら尻込みしていたであろう状況だったが、そこで作中の行動が取れるようになったのは間違いなく成長した証拠だろう。

何がチノを成長させたかといえば、それは「みんなとの出会い」と「様々な経験とともに育まれた絆」に違いない。そのなかで最もチノに影響を与えたのが、何度も言っているように紛れもなくココアだ。他のキャラからココアに似てきたと指摘されるくらい、チノはココアの影響を受けて成長している。三期で見せた成長もどことなくココアの姿を思わせるものだ。何より最終話の『その一歩は君を見ているから踏み出せる』という副題はまさしくチノからココアに向けたものであり、チノの成長というテーマが公式から直接示されている。

また、ココアについて一つ興味深いのが、時折チノの亡くなった母であるサキとココアを重ねる描写を見かけることだ。昔チノが作った写真立てに同じ褒め方をしたり、サキが遺した手品セットで手品の練習をしたり、ハロウィンでココアとサキが出会ったのも不思議な縁を感じざるを得ない。また、性格においても明るく茶目っ気のあるところなど二人はよく似ている。SFYにおける回想で幼少期のチノが母のサキに笑顔を見せているのを考えると、同じくチノを隣で笑顔にするココアはもう家族同然の存在なのかもしれない。チノとは違う意味で、やはりココアも主人公たるキャラだと思った。

どうしても言葉で説明しようとすると断片的になってしまうが 、実際にごちうさを見ていけばチノが成長していく様子はしっかり伝わると思う。少なくとも三期のチノが以前と違うことには気づくはずだ。こういった人物描写にも目を向けると、ごちうさは何倍も面白い作品になる。

 

原作の良さを引き出すアニオリ要素

 ここで、ごちうさのアニメ独自の良さについても話したいと思う。私はメディアとして漫画とアニメなら漫画の方が好きなので原作派であることが多く、きらら作品のアニメ化に関しては「キャラに声がついて動く」という程度*7の認識でそれ以上の期待はしていないことが大半だった。

しかし、ごちうさ三期は私の固定観念を見事にぶち壊してくれた。ごちうさのアニメには私の想像を遥かに上回る価値があった。それを構成する要素が三つある。

一つは緻密で精彩な背景美術による魅力的な世界観の演出だが、これは今回の記事で既に触れているので割愛する。

二つ目は脚本の巧みな構成だ。具体的にはアニメで一話を作るのに二つ以上のエピソードを使うのだが、その繋げ方が非常に上手い。三期はこれまでよりエピソードの物語性が強くなったことでそれを強く感じさせられた。

そして、最も重要なのが三つ目、アニメオリジナルのシーン追加である。個人的にアニオリという単語はマイナスイメージの方が強いが、ごちうさのアニオリはすごい。ごちうさのアニオリは間違いなく原作を生かすアニオリだ。その極致が八話のリゼをリゼ父が迎えに来て、帰りの車で話をするシーンである。八話にタカヒロとリゼ父の電話のくだりがあるが、原作ではオチもそのくだりの天丼だった。しかし、アニオリではそこをギャグで流さず、「リゼ父がリゼの将来の夢を聞いて笑ったのは、娘が立派に成長したのが嬉しくて泣きそうになったのは誤魔化したかったから」という文脈が追加されたことで、まったく違う味わいの話に変化したのだ。それだけでなくリゼ父とリゼの会話がちゃんと描かれたことはかなり新鮮で、リゼ父のリゼに対する接し方に父親のリアリティを感じた。初見では大胆なアニオリ展開にド肝を抜かされ、そのクオリティの高さに感じ入ってしまった。もはや別物になっているのに、むしろ原作を補強する役割すら果たしているのがすごすぎて逆に恐ろしい*8。前項で出てきたチノの成長を感じる接客のシーンもアニオリ展開でチノの人物描写を厚くしている。最終話のラストもアニオリだが違和感はなく、アニメの最終回としていい感じに落としたなあと感心してしまった。アニメ制作陣のごちうさに対する理解の深さを感じるばかりである。

 

ごちうさという作品の本質

 ここまで長々と語ってきたが、ごちうさ三期は疑いようもなくシリーズ最高のアニメだ。三期の範囲はいままでの積み重ねが活きている名作エピソードだらけな上に、文化祭・ハロウィン・クリスマスなどを始めとして背景美術が映えるところもたくさんあり、極めつけには秀逸なアニオリで原作を崩すことなく独自性を見せるなど、すべてが上手く噛み合った結果がこれなんだなと感慨を覚えた。

ごちうさの本質とは「日常のきらめき」だと思っている。なんてことのない日常だからこそ、キャラの成長や絆が輝くのだ。

タカヒロよ チノの母は想像していただろうか

作りかけの制服が完成するのを 新しい二色の制服が作られることを

これはあやつが夢見ていた以上の光景じゃ(ティッピー)

出典:ご注文はうさぎですか?・六巻p107

 これはティッピーがクリスマスパーティーでココアたちを眺めながらタカヒロに零した台詞で、ごちうさの素晴らしさを象徴するような台詞だ。

さて、三期はとても素晴らしいアニメだったが、ごちうさ最大の名作エピソードである"アレ"が控えているので、次のアニメ化がいまから待ち遠しい。ありがとう、ごちうさ。ありがとう、ごちうさに関わるすべての人たち。本当に素晴らしい作品を届けてくれて、ありがとう。

*1:あくまで三期が顕著なだけでごちうさはそれ以前も見どころはたくさんある

*2:リゼとチマメ隊の卒業年

*3:主な舞台である木組みの家と石畳の街やココアの故郷、のちに卒業旅行で訪れる大都市などが象徴的に描かれている

*4:ティッピーとして生きてはいるが

*5:看板娘隊というグループが結成されている

*6:ただ、祖父が亡くなったのが物語開始時点から見て去年の話であるのに対し、去年の四月にマヤメグと友達になっているので、ティッピーとしか話そうとしない時期がいつだったのかは不明

*7:それこそ醍醐味だしアニメとして十分すぎるが

*8:ちなみに構成の都合上カットされたところとして原作にはココアとチノがリゼが自分たちの好き嫌いをメモしたノートを読む場面があり、三人の絆をよく感じられて心地いい雰囲気になっている