雑食オタクの雑記帳

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ごちうさにおける作品の中身について

ごちうさ三期が絶賛放送中の今日この頃、よく巷で「ごちうさは中身がない」という台詞をよく聞く。ごちうさに限らず、きらら系列の作品は中身がないと言われることがしばしばある。

 

ごちうさに中身を感じない人はたくさんいるだろうし、ごちうさのファンである私からしてもそう感じる人がいるのも別段不思議ではないと思う。

 

ただし、ごちうさに中身がないというのは間違いだ。それに気づかない人がいるだけでしっかりある。ということで、ごちうさの中身とは何たるかを書いていきたいと思う。あくまで筆者の雑感なので悪しからず。

 

 

中身の定義

 よく中身の定義としてストーリー性やメッセージ性、エンタメ性など挙げられる印象がある。

最近のそういった作品の中だと『ゴールデンカムイ』や『メイドインアビス』『リゼロ』、『呪術廻戦』が私は好きだ(チョイスがなんか偏っているのは目を瞑ってほしい)。

いずれもストーリー、キャラ、設定、戦闘・情景描写など何かしら強烈に見る者を惹きつける要素があり、見応えのある刺激に溢れた作品である。世間一般でいう中身のある作品というのはおそらくそういうものだ。

 

その観点で見るなら、ごちうさに中身はない。

 

ごちうさは基本的にココアたちの何てことのないささやかな日常を描くだけで、大きな事件が起こるわけでもなく、分かりやすい刺激のある作品ではない。だから、ごちうさを退屈と見る人がいるのは当たり前だ。それで見るのをやめる人がいても、無理に引き留めようとは思わない。しかし、それはその人に合わなかっただけであり、中身がないということには繋がらない。

 

では、ごちうさにおける中身が何かと言えば、「キャラクター」。それに尽きる。

「キャラクター」といっても可愛さに限らない人間的魅力の話だ。もちろん可愛さは不可欠だが、決してキャラの魅力は表面的なものではない。なので、その辺りについて軽く話していく。

 

ごちうさにおける「キャラクター」の比重

 ごちうさにおいて「キャラクター」はある意味、作品のすべてである。ぶっちゃけ、キャラに惹かれないなら見る意味はあんまりない。多少興味のないキャラや嫌いなキャラがいても視聴する価値のある作品もあるとは思うが、ごちうさにそれはない。何故なら視聴するモチベーションも九割以上キャラが占めているだろうし、少なくとも序盤にはストーリーの続きが気になるという求心力はないと考えているからだ。

大体ごちうさを見てるのは女の子キャラが好きな人だろう。ほとんどみんな入り口はそこである。そして、ここで二種類の人間に分かれると思う。

 

ごちうさに中身がないと考える人と、そうでない人だ。

 

癒しを求めて、ごちうさを見ている人はたくさんいるだろうし、もちろんどんなスタンスのファンでもごちうさは癒しの存在だと思う。しかし、ここで頭を使わないで見れる作品として楽しむ人とそうでない人で分かれる。前者が悪いとは言わない。難しい話もストレスを感じる展開もなく、頭を使わないで"も"見れるのは、ごちうさの魅力の一つだ。だが、個人的にそれだけではもったいなく感じてしまう。自分の楽しみ方を他人に強要など絶対にしないが、興味があるならその先も知ってほしいとささやかながら思うのだ。

 

なので、ここからは私が考えるごちうさの「キャラクター」の魅力が何であるかを話していこう。

ここでいう「キャラクター」とは主に三つの要素を内包している。

  • 可愛さなどキャラに最初から備わっている魅力
  • キャラの関係性の変化
  • キャラの成長や新たな魅力の発見

とりあえず一つずつ話していく。

一つ目についてだが、これは言うまでもない気がする。ごちうさファンの誰もが享受している。可愛さに関しては、これがないとジャンルとして始まらないのは事実だ。登場時からみな魅力的でキャラもそれぞれ立っていると思う。それでも、ここは入り口に過ぎない。きららというジャンルすべてに通ずるのが、「積み重ね」の重要性だ。それが残り二つの要素へ密接に繋がってくる。

 

二つ目の「キャラの関係性の変化」は文字通りの変化と新たな関係性の発生の二つを含む。日常を送るなかで起こるちょっとした出来事で、意外な繫がりが生まれたり、関係性が深まったり、そんな風にごちうさはココアやチノたちの友情を描いている。

新たな関係性の発生もやはり醍醐味で、メイン7人もこれまでいろんな組み合わせの話がある。『リゼとチマメ隊』なんか分かりやすい例で、『ココア・千夜・シャロ』の同級生組や『千夜・チノ』の看板娘コンビなど、言うなれば化学反応がたくさんあり、キャラが好きであるなら見ていて飽きないのではないだろうか。ちなみに私が好きなのは同級生組と『ココア・チノ・リゼ』のラビットハウス三姉妹である。既に放送された三期一話のお店の夏服を作るお話は名作エピソード。

 

三つ目の「キャラの成長や新たな魅力の発見」は関係性と相互作用にあり、ごちうさ、いやきららというジャンルにおいて最も重要な要素で生命線といっても差し支えないほどである。キャラが可愛いだけだの平凡だの退屈だの中身がないだの、そう言う人は大概これに気づいていない。じっくりとではあるが、ごちうさは確実にキャラの成長を描いている。確かに派手さや刺激には欠けるかもしれないが、彼女たちが成長し少しずつ大人になっていくさまは心を打たれるものがある。そして、キャラが見せる新たな一面は花開くように日常に彩りを与えてくれる。

成長という点で最も明確なのはチノだろう。引っ込み思案で寡黙だったチノがココアや他のみんなの影響で少しずつ変わっていくのが端々から感じられて、見ている側も温かい気持ちになっていく。またティッピーとの関係性も絡めて見ていくと、もっとチノの成長が分かりやすくなるかもしれない。

 

こう話してきた通り、ごちうさにとって中身とはすべて「キャラクター」に直結している。だから、キャラが好きになれなければ見る価値はあまりないと言わせてもらった。どのくらい深みにハマっているかで評価が大きく変わってくるのは間違いない。

 

それと実は「キャラクター」以外にごちうさにはもう一つ大きな魅力がある。それは世界観だ。

 

ごちうさの異国情緒あふれる世界観

物語の舞台は『木組みの家と石畳の町』と呼ばれるところで、フランスの市街がモデルになっている。その割には甘兎庵という和菓子屋が出てきたり、いろんな地域の文化が混じっていたりするものの、とにかくお店の名前以外は固有名詞が出てこず現実から隔絶されているので、どこかファンタジーな空気が味わえる。また、シストやブロカントなどヨーロッパの文化を作品に取り入れているのも、この世界観により没入感を与えてくれているかと思う。異国情緒に弱い人は間違いなく刺さるはずだ。実際、私にも刺さった。アニメでも背景美術にかなり力が入っているので、それに着目して見るのも面白いだろう。

 

これが「キャラクター」との相乗効果で爆発的な魅力を生むのだ。

 

まとめ

以上が私の考えるごちうさの中身もとい魅力だ。

「思考停止して見ても面白いし、しっかり見ても面白い」というのが私の結論である。また専門外ではあるが、ごちうさはキャラソン含めた楽曲数がえげつないくらい多く、その中身について考察しているファンも少なからずいるので、そこにもキャラクターの魅力が描かれているはずだ。

アニメ三期はこれまでよりグッとキャラの成長や関係性の深まる場面が増えるので、OVAまで追ってきたファンには見応え大だと思う。もしかしたら泣く人も出てくるかもしれない。それぐらい素晴らしい物語だ。

最後に原作を読んでいないのであれば、私はぜひそちらも薦めたい。作者のKoi先生が描き出す日常の煌めきは、アニメとは大きく質が異なる。かくいう私はどちらかといえば原作派だ。アニメから原作に入ると、また違った視点でごちうさという作品の魅力に気づくかもしれない。ごちうさはあなたが思っているより奥深い作品なのである。