雑食オタクの雑記帳

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オタクが文章の練習に好きなことの話とかするブログ。

【星屑テレパス】雷門瞬の本音とそれに対する考察【ネタバレ】

今回は以前も記事にした雷門瞬のことについて書きます

今月のきらら無印ではついに瞬が抱えてた問題について一応の決着が着きました。

いつもの倍のページ数でロケット勝負から瞬と和解するまでが描かれていましたが、最初に言っておくと瞬について納得していない部分がありました。もちろん登場初期の伏線も上手く回収されていて、瞬がここまで本音をさらけ出す感動的な回ではあるのですが、一方で瞬の人物像のブレも感じました。公式が絶対というのは承知の上ですが、今月号の考察を行ったあとに不満点にも触れていこうと思います。

 

※タイトルの通り、最新話のネタバレを含みます。

 

 

今月号のあらすじ

まずは簡単にあらすじの解説をします。

前回、海果たちは瞬にロケット勝負を挑み、決戦の日を迎えました。規定のエンジンを搭載したロケットをお互い一度だけ打ち上げ、より高度を稼いだ方が勝ちという内容です。結果は海果たちが瞬に大差をつけて勝ちましたが、瞬は遥乃に弱いエンジンを使って手を抜いたことを看破されます。

そこで御託を並べて同好会をやめようとしますが、海果は瞬を抱きしめて「雷門さんのことを何も分かってなかった」と泣きながら謝りました。瞬も自分と同じようにずっと居場所を探していたんじゃないかと指摘され、瞬は暴言を放ちますが、それもユウに嘘だと見抜かれます。

そして、海果はユウと遥乃とともに瞬の居場所になりたいという想いを乗せて「また一緒に宙(そら)を目指そう、雷門さん」と手を差し伸べました。海果たちの温かい言葉に心を揺さぶられ、強情になって隠していた「またロケットを一緒に作りたい」という本音を打ち明けて和解する――というのがというのが今月号のあらすじです。

 

物語の考察

不満点があるとはいったものの神回と呼ぶに相応しいクオリティではありました。

序盤から際立っていたのは、瞬の表情の描き方ですね。不敵な笑みを浮かべる一方で、冷めた表情や悲しげな表情も見せるなど、どこか悲哀が漂っていました。特に海果がロケットを打ち上げた煙の切れ間に見た瞬の表情には「お前……消えるのか?」と思わずにはいられませんでした(先月号の引きを見たときから思ってました)。瞬の心境の変化が如実に出ててよかったですね。

この話のテーマの中心は、やはり扉絵でもツーショットだった海果と瞬。対極なようでユウには「近いところにいる」と言われていた二人ですが、友達がおらず居場所がなかったという共通点がここで提示されます。上手く話せずに未知なる宇宙に居場所を求めて自分の殻に引きこもっていた海果と、失うことが怖くて自分から周りを突き放し関係を切ってきた瞬。内面の表象は対照的でしたが、二人とも「居場所が欲しい」と思っていました。海果の心情はここまで十分描かれているのですが、瞬に関しては「いままで明かされることのなかった本音」でした。この瞬の本音には、海果だけでなくユウや遥乃も同様に気づいていたように思われます。

そのことを必死に否定する瞬でしたが、海果は構わずに自分の本音をぶつけます。瞬が居場所をくれたから、今度は自分が瞬の居場所になりたいと、そう伝えました。そして最後に言ったのが「また一緒に宙(そら)を目指そう、雷門さん」だったのです。

瞬は海果の言葉で過去の記憶がフラッシュバックし、何度も人間関係を断ち切ってしまい、「どうせ無くなってしまうなら、もう他人には期待しない」と誓ったことを思い出します。しかし、瞬が何度突き放しても、海果たちは懲りずに手を差し伸べてきました。瞬はそれが怖くて自分を卑下し始めますが、ユウや遥乃には本心を見透かされ、とどめに海果はこう放ちました。

…無くならないよ…

言葉も…思いも…ずっと…何度だって…

私が…雷門さんに届ける…から…

だから…無くなったりしないよ…

引用:まんがタイムきらら2022年1月号

無くなってしまうことに恐怖する心を癒やしてくれる海果の言葉に、瞬はついに心を開いて「本当は一緒にロケットを作れるのが嬉しかったから、また一緒に作りたい」という本音を吐き出すことができたのです。最後に遥乃だけでなく、海果とユウのことも初めて名前で呼んだのは本当に感慨深かったですね。

改めて見てみると、瞬について技術力云々ではなく一貫してその内面が問題とされていました。巧みだと思わされたのは、第17話「約束スイートメモリーで出てきた「他人の言葉はいつだって単純で安っぽくて嘘っぽい」という瞬の持論「また」という言葉が伏線として活かされていたことですね。この話で瞬は海果の言葉を「単純で安っぽい…なのに…」と評していたので、この時点で揺らぎ始めていたのかなと感じました。

 

何だかんだ熱弁したような気がするのですが、不満点についても記しておこうと思います。

 

雷門瞬の描写に感じたブレ

私が納得できなかった部分は二つありました。

一つ目は、「興味ない」という瞬の言葉の意味が少し変わっているのではないかという点です。瞬のモノローグでは「興味ない」という言葉のすべてが自己防衛の表れであるかのように読めますが、「興味ない」と言った対象すべてに興味があったとも思えなかったんですよね。第14話「熱血ロンリーティーチャー」で、瞬の趣味は男の子っぽくてつまらないとモブの女の子から昔に言われたという回想があるので、本当に「興味ない」というケースもあったんじゃないかと考えてます。

二つ目は、瞬の挫折に関して技術者としての実力がほとんど関わっていなかったことです。今後の話で補足があるかもしれませんが、少なくとも瞬の挫折のなかでは言及されませんでした。以前書いた記事はオタクの妄想ですが、どういう形であれ技術者としての側面にも触れてほしかったですね。ただ、本当は自分に実力はなかったのではなく、最後の砦だと思っていた実力も大会でへし折られて「本当に何もない」という流れという解釈なのかもしれません。

 

まとめ ~海果と瞬~

実は最初、自分のなかで不満点の方が強かったのですが、感想を書き出してみるとやはり神回だなと感じました。私は「あ…あの、ね…雷門さん…」から始まる海果の長い告白が一番好きです。海果は七転び八起きという言葉が似合う強い子だと思います。挫折から全員が立ち直るまで結構な時間を要したので、今後どんな展開になっていくか楽しみです。

今日はこんなところで終わりたいと思います。ありがとうございました。

 

PS:ユウが瞬に「つんでれ地球人」とニヤけ顔で言うシーンも良かったです。

 

【星屑テレパス】雷門瞬に関する小考察~彼女の歪みと違和感~【感想】

※星屑テレパス最新話までのネタバレを含んでいます。

 

先日、きらら無印の最新号が発売されました。現状、『星屑テレパス』と『むすんで、つないで。』の最新話を読むためだけにMAXのついでにFUZの定期購読で読んでいるのですが、星テレは相変わらずシリアスな展開が続いてますよね。

今月は前回に引き続き、遥乃のメイン回でした。回想で彼女の原点を示した上で、敗北で塞ぎ込んだ瞬と対話を試みるわけですが……めちゃくちゃ熱かった。優等生で大人っぽい遥乃が剥き出しの感情を瞬にぶつける様には成長を感じました。遥乃と瞬の好き嫌いの話を「負けっぱなしの瞬ちゃんは大嫌い」という台詞で活かすのも粋でしたね。惜しむらくは瞬の掘り下げが来月以降に持ち越しになってしまったことで、ぶっちゃけ一ヶ月生きるの面倒くさいなという気持ちです。

 

さて、ここまでは前書きです。今回の話題は星テレ最新話の感想ではありません。雷門瞬に関するちょっとした考察についてです。私は瞬が推しで星テレの読書意欲の七割くらいを彼女が担っているほど好きなキャラなので、星テレを読む際に瞬を中心にしがちなのですが、2巻と単行本未収録範囲を読んでいて気になったことがありました。

それは「雷門瞬はなぜロケット研究同好会にいるのか」ということです。

その問いに答えるのであれば、不登校で孤独を貫いていた瞬が、『ロケット勝負』と『海果が瞬自身に純粋な興味を持っていたこと』に少し心を動かされた」というのが一つの回答になるのではないかと思います。

しかし、「そもそも瞬が海果たちと同じ高校に進学しているのがおかしい」という仮説が頭をよぎりました。私がなぜそのように思ったのかと、その仮説が成立するなら瞬にどのような影響を与えているのか、ということについて書いていきたいと思います。

 

 

仮説の根拠1 「興味がないことはしない主義」との矛盾

この仮説の根幹にあるのは、瞬の信念と現状に対する違和感です。瞬を象徴するのは、見出しにある通り「興味がないことはしない主義」という考え方だと思います。瞬を仲間に引き入れるためのヒントでもあったこの考え方ですが、そうなると瞬の現状って少し変なんですよね。

中学生の時点で瞬は「大型ロボットを作る」という目標を掲げて勉強しており、興味に対して真摯でストイックな子です。父が職人か技術関係の仕事をしているのもあって相応の知識は持ち合わせていると思われます。この歳にして専門性のある瞬ですが、こういう子が果たして普通の高校を選ぶのでしょうか。順当に考えれば、自分の興味にあった学校を志望校にするのではないでしょうか。ましてや興味のあることには一切妥協しない瞬が進路をテキトーに決めたとは私には思えませんでした。

まず、これが一つ目の根拠で考察の土台となる部分です。

 

仮説の根拠2 「竜岡科学技術高校」という存在

根拠1では進路の話をしましたが、これを補強する根拠2が「竜岡科学技術高校」という学校の存在です。前年のモデルロケット選手権で優勝するという華々しい経歴を持つ学校で、宇宙研究開発部という如何にも本格的な名前の団体が参加しています。この部の代表者である秋月彗は、最大のライバルであり海果たちの成長にも関わってくるキーパーソンですが、瞬は彼女に対抗心を見せていました。

そんなすごい学校があるわけなんですけど、

この学校っておあつらえ向きだと思いません? 

この「竜岡科学技術高校」瞬の志望校としておあつらえ向きの学校だと思うんですよ。瞬の夢が大型ロボットを作ることだとすれば、ここに進学するのが一番の近道でしょう。普通の高校に進学する理由なんてありません。不登校になるならなおさらです。ちなみに2巻のカバー裏漫画によれば瞬は理系科目の成績が良かったらしく、ここが難関校だとしても受かる可能性は十分あったでしょう。

しかし、この仮説が成立してしまうと、瞬は竜岡科学技術高校を落ちて藤野岬高校に進学したことになります。完全に予想になりますが、前者が国立で後者が公立なら受験を両立できるはずなので、これはある線だと思います。

この二つの根拠を以て「瞬がロケット研究同好会にいるのは、志望校に落ちたため」という答えを導き出しました。この文脈から瞬の人物描写を見ると、どこか不明瞭だった言動が少しクリアになるのです。

 

仮説から導かれること~瞬の自己評価の歪み~

前述の通り、「瞬は志望校に落ちて海果たちと同じ高校に来た」という予想を立てた訳なのですが、こう考えると2巻から最新話に掛けての瞬の言動に関わる謎が解けると思っています。

2巻、具体的には大会に向けてモデルロケットを作り始めてから、瞬の言動に不穏な影が見られるようになります。それは「勝てなかったら意味がない」「勝つことが私のここにいる意味」といったニュアンスのものです。ただ勝利に貪欲なだけではないかという見方もなくはないのでしょうが、私はこの考え方に瞬の歪みを感じます。先に記したことは、「能力が私の存在意義」という風にも言い換えられると思います。実はこの考え方が垣間見えるところが1巻にもあり、ズバリそれはロケット勝負に負けた海果の話を聞くシーンです。瞬は「一人の人間」としてではなく「自分の能力」を買われてスカウトされたと考えていたでしょう。結果、海果はロケット作り以上に瞬自身に興味を持っていたため、瞬もロケット作りに協力する気になったわけですが。

しかし、そういう経験をしてもなお、瞬の負の一面は解消されることはありませんでした。そして、大会本番では彗たちとの圧倒的な差を見せつけられ、自分たちは打ち上げに失敗して予選敗退。瞬は再び心を閉ざしてしまいました。

実は予選敗退の時点では、単に「自信をへし折られて塞ぎ込んだ」と思っていたのですが、今月号の引きとなる瞬の台詞で見方がガッツリ変わりました。

……わかってない…わかってないんだよ…本当に…

私はお前らが思うほど何かができる人間じゃないんだ…

本当は…何も…(雷門瞬)

出典:星屑テレパスまんがタイムきらら2021年11月号

この台詞、予選敗退で自信を喪失したから出てきた台詞ではないと思うんです。「本当は」という表現を汲むなら、もっと前、海果たちが瞬のところに来る前からあった根深い心の問題だったのではないでしょうか。大会で上手くいかなかったとはいえ、瞬も一定以上の技術は持っていたはずです。モデルロケット3級ライセンスを持っていたのが一つの証左です。そんな人間が心の奥に無能感や劣等感という類いの感情を隠していたのはなぜでしょうか。

それはおそらく既に挫折を経験していたからです。では、どこで挫折を経験していたか。それが竜岡科学技術高校*1に落ちた、または諦めたときだと私は考えています。ここで小さな考察がすべて繋がるのです。

 

余談ですが、この考察を行っているときにもう一点気になったことがありました。それは「瞬がモデルロケット3級ライセンスを持っていた理由」です。瞬の夢は大型ロボットの製作だと作中で語られていますが、ロボット製作を専門にしていてもモデルロケットのライセンスを持っているものなのでしょうか。4級であれば簡単に習得できるのかもしれませんが、3級と指導講師のライセンスまで短期間で取ることができるかと言われると、私は少し怪しいと思いました。ロケット勝負を持ちかけられる以前からライセンスを持っていたと考えるのが自然ですが、なぜ自分の専門と違う分野のライセンスを持っていたのか不思議です。単にロボット以外にもさまざまな分野に手を出していたからと言われれば終わりですが、モデルロケットも瞬の過去と何かしら関連性があると私は踏んでいます。

 

まとめ ~雷門瞬に課せられた試練~

ここまでいろいろ書いてきました。過去の挫折で抱え込んだコンプレックスと向き合って解消することが、雷門瞬の試練になると思います。1巻のときのように海果が最終的に瞬の救いになるのではないかと予想しています。また、海果と瞬は表面上は正反対に見えても根っこは「一途に夢を追いかける者」「興味に対する純粋さ」など似たところの多い関係ですが、海果が「弱そうに見えて意外と強い(不屈の精神)」のに対し、瞬が「強そうに見えて実は弱い部分を抱えていた」と対照的なのが興味深かったですね。

ただ、自分で書いておいてなんですが、

ここまですべて私の妄想です。

作品内に散りばめられた要素を上手いこと繋ぎ合わせて説を構築したつもりですが、私の考察が大外れする可能性は十分高いです。しかし、こういった遊びは本編で真実が明かされる前の特権だと思うので、書いていて楽しかっただけで良しとします。もちろん、この考察が少しでも当たったら嬉しいです。

それにしても一ヶ月がすごく長い道のりに感じられます。早く続きが見たいです。ということで、ここまでお読みいただきありがとうございました。

*1:あるいはそれに類する志望校

【劇場版きんいろモザイク Thank you!!】「ありがとう」と言わせてほしい【感想】

8月20日。ついに待望のきんモザの劇場版が公開されましたね。

近場の映画館で早速見てきたので軽く感想を話していこうと思います。

上映前にグッズもいくつか買ったのですが、初回の上映が終わって出てきたら、カレン・綾・陽子のアクキーが売り切れていてヒヤッとしましたね。ちなみに私は推しの陽子だけアクキーを確保しました。ごちうさDMSのときに初回上映前に物販の長蛇の列ができていて絶望した記憶があったので、今回はよかったです。

ちょっと小話を挟んだところで、映画の感想に移っていこうと思います。

 

※映画のネタバレを含む内容になります。ご注意ください。

 

 

絶妙な配分のストーリー構成

公式サイトのあらすじだと修学旅行と進路というテーマについてしか触れておらず、映画のカットを見てどんな構成なのか気になっていた人が多いのではないでしょうか。私も約80分にどう物語を詰め込むのか、かなり懸念していました。

しかし蓋を開けてみれば、高校卒業後のアリスとしのが回想する形で修学旅行編を起点に厳選した進路にまつわるエピソードを上手く繋ぎながら受験と卒業まで巧みに描かれており、感嘆しました。各エピソードの重要なところだけ抽出して小ネタレベルのギャグはカットされていたりするので、ダイジェスト気味であるのは否めませんが、80分という制約のなかで最高のクオリティに仕上がっていると思います。

 

やはり安定感のあるギャグ

私が本映画で最も強く感じたのは、ギャグの安定した面白さですね。

きららではギャグに定評のあるきんモザですが、映画でも遺憾なくその魅力が発揮されていました。冒頭の修学旅行編は見どころが多く、個人的にはアリスが京都の名所を紹介して、しの&綾がリアクションをする件がかなり好きでした。カットされなくてよかったです。

ギャグという点で注目すべきは綾ですね。初期からボケ側の気はありましたが、もうこの頃にはしのをも凌ぐ(ダジャレではない)一線級のギャグ要員になっています。修学旅行編で恋バナをしたいがために枕投げで無双し、カレンの冗談もガンスルーして恋バナを求める綾はなかなかの強者です。また、綾はかなりの恋愛脳なので、恋愛っぽいことが絡むと周りを振り落とす勢いで暴走しますが、その辺りは金髪で暴走するしのと穂乃花に通ずるものがありますね。好きなものがある女の子は強い。

あとは「トーテムポールの歌」、「そわそわダンス」に続く「合格の舞い」という謎ネタが誕生したのも印象深いですね。厳密には原作にもありますが、動きと掛け声が付いたことで強烈なネタに進化しました。円盤が発売されたら、音MADが作られそうな予感がします。

 

胸が温かくなるストーリー

キャラの可愛さやギャグに隠れがちですが、きんモザはストーリーも魅力的です。進路というシリアスなテーマだっただけに、キャラの人間的魅力が光っていたと思います。

綾と陽子の面接練習では二人の関係性の進展、特に綾が陽子に素直な気持ちを伝えられたところに成長がよく感じられました。また、今回はアリスとカレンの関係性の描写が比較的多めで、普段元気なカレンのアリスに対する思いやセンチな一面が見られて非常によかったです。ちなみに私はきんモザのCPはアリカレが一番好きです。

いいシーンばかりでしたが、私が一番好きなのは猪熊兄妹が絵馬で陽子の合格祈願をしているところです。素晴らしきかな家族愛。

 

総評:原作ファンへ贈られた最高のご褒美です

『劇場版きんいろモザイク Thank you!!』は最高の映画でした。きんモザが名作であることを再確認しました。原作ファンへのご褒美という表現が個人的にはしっくりきますね。

原作という単語を聞いて「アニメしか見ていないファンはどうなんだ!」と思う方もいるかもしれませんが、率直に言うと原作を読んでいるかどうかは映画の評価に関わってくると思います。何せだいぶ端折っているので、できるなら原作は読んだ方がいいです。ただ、テレビアニメ、Pretty daysときてこの映画を見て原作に触れた場合は、逆の視点から映画と原作の違いを楽しめるかもしれません。原作を薦めたい理由の一つに最初にアリスのモノローグでキャラ紹介があるのですが、香奈を「魔法少女が大好き」と紹介しているにもかかわらず映画では香奈のオタクっぷりがまったく出てこないので、既読者向けの内容になっているんですよね。これを見に行く方の大半は原作を読んでいると思っているのですが、アニメだけ追ってこの映画も見るというパターンの方もいるかもしれないと頭によぎったので、説明を付け加えました。

この映画できんモザのアニメをもっと見たいという欲がグッと強まったので、これが最後かと思うと名残惜しい限りです。きんモザからはたくさんの幸せをもらえました。副題が「Thank you!!」ですが、むしろこっちが「Thank you!!」ですよ。原作者である原悠衣先生をはじめ、『きんいろモザイク』に携わったすべての方へ、「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。

今日は短めですが、そんな幸せな心地で終わろうと思います。お読みいただきありがとうございました。

戦国ランスという最高のキャラゲーの話。

最後にブログを書いてから幾星霜、お久しぶりでございます。

七月の中旬くらいからは暇だったのですが、ゲームにのめり込みすぎて文章を書くということを一時期忘れていました。最初の二週間弱は食事と睡眠以外の時間をすべて捧げる勢いでマイクラをやっていたのですが、「このままだと際限なくマイクラやってるだろうな」と頭によぎったのでやめました。

 

そして、つい今日までハマっていたゲームが『戦国ランス』でした。ということで、今回は遊べるエロゲの最高峰と名高い戦国ランスについて書いていこうと思います。ちなみにエロゲは有名な作品(基本的にシナリオ重視)を5,6本触った程度のライトユーザーです。

 

戦国ランスアリスソフトが手がける地域制圧型SLGというジャンルに属する作品ですが、まず何よりも遊べるエロゲという評判の通り、どうやって領地を広げるかという攻略の過程が面白いです。

このゲームは周回前提の作りになっていて、一周目は強制的に正史ルートを攻略するのですが、これは結構前にクリアしていたので今回は二周目に蘭ルート、三周目に謙信ルート攻略しました。正史は記憶が正しければ苦し紛れにどうにかクリアしてメンタルが疲弊していたと思うのですが、今回のプレイでは苦しい場面に遭遇しながらも試行錯誤をして楽しくクリアできました。

私の蘭ルートを例に攻略の面白さを軽く語ってみようと思います。

二周目に蘭ルートを選んだのは「どうしても毛利家を仲間にしたい」という強い動機からでした。あの治安悪い感じとパワー型戦闘狂ジジイの元就が好みだったのと、正史でちぬが死んだのが悲しかったんですよね。

そんなわけで瓢箪を最低限割らないように北条までたどり着き、兵数差に苦しまされながら戦果勝ちを重ねて北条を制圧、イベントもこなして蘭ルートに突入。さあ、西へ進軍だと息巻いていたらヤバいことに気づきました。

本作において悪名高い島津の参戦です。Wikiを見ながらやっていたので、島津が毛利を吸収してしまうことは知っていました。島津が全国に宣戦布告をした頃、確かタクガの攻略に差し掛かったところだったので、必死の思いでタクガを制圧して毛利と交戦状態になるのですが。毛利攻略のターニングポイントとなる大決戦のフラグが立つ前に島津兄弟に毛利三姉妹がたらしこまれて吸収されました。あのイベントは一生見たくないと思うレベルで、めちゃくちゃ落ち込みました。実のところ、毛利にいち早くたどり着くために降伏を多用していたので状況はボロボロ。これ以上やる意味がなかったので、取り返しがつきそうなところからやり直しました(40ターンくらい遡った)。

蘭ルートに入るまでの余裕が意外とあったので、今度は種子島家までがっちり制圧してから北条に取りかかりました。そうしたことでザビエル封印までと島津参戦までのターンで余裕を持って毛利を制圧し、見事四人を仲間にすることができました。前回の屈辱があっただけに、その感動は一入でしたね。

この場合は打開策はシンプルでしたが、目標を達成するために試行錯誤しながらプレイする感覚の中毒性が高いんですよね。目標や試行錯誤のレベルが上がると、おそらく得点プレイ(いかに最後の得点を稼ぐか)に行き着きますが、得点プレイはかなりマゾいと思うので、私はやりません。

蘭ルートで戦果勝ちの重要性(名取の固有技能や陰陽師式神)を理解したり、作戦許可証のチートぶりを実感したり、相手を制圧すれば自動的に取り返せるので自領地の防衛を妥協するという選択を覚えたりと経験値を積んだので、謙信ルートは楽々クリアしました。★1にして得点も112点稼げたので、エンジョイプレイなら快適にいける段階になって個人的にとても満足できる結果になりました。ついでに途中のデータから独眼流の攻略も行い、妖怪勢を仲間にできました。正史やっていた頃は「あんな砦の数どれだけ時間かかるんだよ」と思っていましたが、いまにして思えば作戦許可証を使う前提だったんだなあと分かりました。

 

ゲーム部分の話はこのくらいにして、今度はキャラゲーという観点から語ってみましょう。タイトルにも「最高のキャラゲー」と掲げているとおり、どちらかといえばこっちがメインです。

戦国ランスの醍醐味といえば盛り沢山のイベントですよね。小ネタ的な地域イベントも面白いですが、やっぱりイベントで大事なのはキャラの掘り下げだと思います。

勢力イベントから始まり、交戦中のイベントも楽しみながら、制圧して好きなキャラを仲間にする。そして、キャラクリを進めていくという作業がすごく好きです。そもそも私がアリスソフト作品を触ったのはこれが二作目で、同じ地域制圧型SLGである『大番長』にどハマりしたことをキッカケにこっちにも手を伸ばしました。大番長も同じく最高のキャラゲーなので、イベントの豊富さとキャラクリの楽しさは知っていましたが、戦国ランスでそれを再確認しました。

本作で特に好きなのは、明石風丸(with火鉢)、独眼流政宗毛利元就です。風丸は交戦時から火鉢とくっつくまで全部いいです。ぬへ関連はちょっと涙腺にきますね。あとの二人はとにかくカッコいいです。ついでに政宗にアレがついてるCGはかなりびっくりしました。武田の四人も渋いカッコよさを感じているのですが、「四連戦→暗殺→他国に仕官したところを捕獲」にハードルを感じて触ってないので、いまは語れません。ただ武田制圧時の四人のやりとりはめちゃくちゃよかったです。

「エロゲなのに女の子が好きなキャラに入ってないのはどういうことだ!」とツッコミが入りそうですが、エロゲに燃えやカッコよさを求めるような人間なので男が先に出がちなんですよね。私という人間のサガです。とはいうものの、もちろん女キャラでもお気に入りの子は結構います。ざっと挙げていくと野菊、ノワール、謙信、柚美、てる、ちぬ、子鹿が特に好きな子たちです。毛利関連の三人が入っている時点で私が二周目でどれだけ毛利を攻略したかったか伝わるかもしれません。Hイベント用のキャラを入れると、今川あんことカ・グヤが上位に食い込んでいきます。余談ですが、独眼流の四人のキャラクリは後味が悪かったので、今後のプレイでは触らないと思います。政宗はやはり偉大な男……*1

あと主人公であるランスもあれだけ無茶苦茶やってるのに、憎めない魅力的なキャラになっているのがすごいです。外道になるかどうかギリギリのラインをちゃんと見極めているのと、良くも悪くもブレないところ、あとバカなところが魅力に貢献してるのかなと思いました。謙信との関係で好感度が爆上がりしました。ランスにヤられたりしても、ランスに惚れないキャラがいるのもバランス取ってて個人的にいいですね。余談ですが、女体化ランスも他の女キャラと上位争いできるくらい好きです。

Hシーンに関してはプレイ内容がどうこうとまで突っ込む気はありませんが、キャライベの一貫として楽しめました。

 

総評は最初から再三言っている通り、文句なしの神ゲーです。伝説として語り継がれているだけあるなあと思いました。ネットで簡単に買えてリーズナブルな値段でめちゃくちゃ遊べるコスパの鬼です。ランスシリーズは6だけもう買っていて、8,9,10も興味はあるんですが、如何せん時間泥棒なゲームなのでさすがにこれらを制覇するのは難しいと感じています。さらに最近セールで買った大悪司も積んでて戦国ランスもまだまだやり残しがあるので、なおさら難しいところです。これは贅沢な悩みな気もしますが。

 

それでは今回はこの辺りで締めさせていただきます。お付き合いいただきありがとうございました。

 

※島津四兄弟のキャラクリはまったくする気はありませんが、正史ルートの生き様と黒姫だけ絡んでいるときはわりと好きです。だが蘭ルート(とまだやってない猿殺しルート)の島津四兄弟、テメーはダメだ。

*1:キャラクリの条件を見て政宗からランスに心変わりするのではないかと内心不安になっていたのは内緒

【映画大好きポンポさん】情熱も知恵も努力も苦悩も、すべてを捧げた先に【ネタバレ感想】

今回は、絶賛公開中の『映画大好きポンポさん』の感想になります。

Youtubeでたまたま見た予告映像がとても鮮烈でガツンと衝撃を受けたので、久しぶりに映画館に足を運びました。予告の時点で「これは絶対すごいだろうなあ」と思ってはいたのですが、想像以上に心にぶっ刺さってボロ泣きしました。パンフレットが売り切れだったことだけが心残りです。後日、買いに行こうと思います。

私の琴線に触れたのが、主人公の新人監督ジー彼の同級生でエリート銀行マンアランでした。この二人は作品のテーマで特に大事な部分を背負っていたと思っています。なので、今回はこの二人にクローズアップした感想になります。「コミカルな演出」とか「ポンポさんがすごく可愛い」とか魅力はたくさんあると思うんですけど、その辺りの感想はちょっと省くので、ご了承ください。

 

※タイトルにある通り、ネタバレを含む内容になるのでご注意ください。

 

 

映画に魅せられた者たちの挑戦

この作品は、「敏腕プロデューサーポンポさんのアシスタントをしてたジーが監督に抜擢されて、新人女優ナタリーと伝説の俳優マーティンが主演の作品を撮る」というのがあらすじとなっています。先に挙げたアランは中盤から違う形で物語に関わるのですが、それは後述。

序盤から物語の主軸となっているのは、主人公のジーンとヒロインのナタリーです。物語が始まったとき、二人はまだ何もない夢見る若者でした。映画の世界に魅せられ、ジーンは映画監督を、ナタリーは女優は目指していました。そんな二人のもとに、ポンポさんからポンとビッグチャンスを与えられ、さらに伝説の俳優が主演として参加するという人生最大の好機。最初こそ戸惑っていましたが、二人はチャンスを託された自分を信じ、すべてを賭けて映画撮影に臨みます。

この作品のキーフレーズは、ずばり「何もない」「すべてを犠牲にする(失う)覚悟」です。これを体現しているのがジーンとナタリーで、最高の映画を撮るために全力を尽くします。アルプスでのロケでは、積極的にアイデアを出すところも見られ、映画を撮る時間を謳歌しているようにも感じられました。

ポンポさんが作中で映画を「夢と狂気の世界」と表現していましたが、二人は夢と狂気を引っ提げていたと思います。ジーンは友達がおらず孤独で映画以外に好きなものがなく、貪るように映画を見てはノートにびっしり感想を書く日々を送り。ナタリーは何もない田舎暮らしで唯一楽しかったのが映画を見ることで、女優になりたいと言ったらクラスでバカにされ、上京してからはバイト漬けの毎日を送り。二人は決して明るくない人生を歩いていました。

そんな人生のなかで、ただ夢だけを抱えて生きていて、その夢以外は何も持ち合わせていない。そこで目の前に転がり込んだ大博打に自分のすべてベットする。

 

これが狂気でなかったら何だと言うのでしょう。こういう生き方は狂気的で、そして最高にカッコいいです。

 

アルプスでの撮影は、広大で美しい風景と映画の内容も相まって爽快でした。マーティン演じる指揮者ダルベールとナタリー演じる大自然で暮らす少女リリィも素晴らしく、ジーンたちが撮ってる『MEISTER』は劇中劇でありながらそれ単体でも作品として出せるぐらいクオリティが高いです。『MEISTER』は単なる劇中劇ではなく作品のテーマにも関わっているので、その出来が作品の評価を大きく左右する以上は当然のクオリティなのでしょうが、それでもすごいことは変わらないと思います。

MEISTER』については、ジーンを評価するにあたって不可欠の存在なので、後で掘り下げていきます。

 

平凡な世界から、夢と狂気の世界へ踏み込んだ男

次はアランについて話していきましょう。

アランは最初に言った通り、ジーンの学生時代の同級生です。根暗で友達のいないジーンとは対照的に、アランは美形で彼女がいて友達にも恵まれていました。それで大手銀行に就職できるほどのエリートなのですが、特にそれを鼻にかけたりしない好青年でした。

こうしてみると何の接点もなさそうな二人ですが、アランはある雨の日にジーンのノートを拾ったことを覚えていました。ジーンはアランたちとすれ違ったときにその一人とぶつかってしまい、大切なノートを水たまりに落としてしまいます。そのことに気づいたアランは少し引き返してそれを拾うのですが、その中身が気になり、ジーンに断ってノートを開きました。そこにはびっしりと映画の感想が詰まっており、アランが軽く引くほどでした。ともかく、アランはノートをジーンに渡し、「下ばかり向いてないで前を向けよ」といった旨のことを感じよく伝えて、その場を去っていきました。

そんな二人が再会したのが、スイスでした。ジーンは前章で話したとおり映画のロケに、アランは銀行の仕事でスイスにやってきており、ジーンたちが街中で撮影しているときに偶然再会します。スイス行きの便の機内ですれ違っていたのですが、そのときは気づきませんでした。

二人は休憩中にカフェで久しぶりに話をします。アランはジーンが映画監督をしていることを聞くと、ジーンに称賛の言葉を送りました。アランは、ジーンがあの日濡れたノートの内容を別のノートにまるごと書き直したことに驚いたりもしながら、あの頃からジーンは「彼なりに確固たる夢に向かって、ずっと前を見て生きていたこと」を知り、尊敬の念を抱きました。

そして夢に向かって頑張っているジーンに、アランは自分が抱え込んでいた思いを吐き出しました。

その思いとは、

何でもそこそこできてしまったが故に平凡な道を歩んできてしまい、自分の生きる意味が分からなくなったこと

生きる意味も分からず、仕事も上手くいかず、務めてる銀行をやめようとしていることを告げました。そして、アランはジーンにエールを送って別れました。

本来ならアランはそのまま退職届を出して銀行をやめているはずでした。しかし、退職の旨を伝える直前、上司の机にあった一枚の書類に目が留まり、つい書類に手を伸ばして内容に目を通します。

その内容とは「ジーンが所属する映画会社の融資申請書」でした。次章で触れますが、無事に映画がクランクアップしたあと、ジーンが追加撮影をしたいと言ったことが原因でスケジュールが遅れ、スポンサーが降りてしまいました。メディアでもそれは報道され、会社の評判も悪くなってしまいます。会社は制作を続けるために融資を申請したものの、それはもう却下される予定でした。

ところが、アランは上司に「その件を任せてもらえませんか」と頼みます。ジーンを助けたい、彼の映画を見たいという思いでアランは覚悟を決めます。振り返っても何もない人生を送ってきた彼が、初めて本気で叶えたいと思った夢でした。

後日、アランは映画会社を訪れ、直接ポンポさんに融資の計画について話をしました。そして、一通り計画について話し終えるとアランは覚悟を問われます。「すべてを失う覚悟」です。アランは自らの思いの丈をぶつけて覚悟を証明すると、ポンポさんにこの言葉とともに歓迎されました。

 

「ようこそ、夢と狂気の世界へ」

 

 気づけば何もない人生を送ってきたアランが、平凡と決別して夢と狂気の世界へ足を踏み入れる。彼もジーンやナタリーのように、夢のためにすべてを賭ける道を選んだのです。

アランは上司にも手を貸してもらいながら入念に準備を行い、銀行の上層部へ融資のプレゼンをします。アランは自ら撮ったスタッフインタビュー動画を流して彼らや自分の思いを熱弁し、さらにはその会議の様子をリアルタイムで配信することで、映画にすべてを懸ける者たちの姿が世界中の人々の心を動かすことができると証明しました。クラウドファンディングでも成果を出していることも示し、持てるすべてを尽くした末にアランは融資を勝ち取りました。ここで初めて彼は平凡な自分と決別できたのではないでしょうか。

余談ですが、私はこのシーンで涙腺が崩壊しました。ここで失敗すれば映画制作も頓挫してバッドエンドだったので、会議の様子をはらはらして見守っていましたが、アランの熱意に完全にやられましたね。個人的には今作一番の名シーンです。また、予告にも出ていた「夢と狂気の世界へ」がアランに向けられた台詞だと分かったときも鳥肌が立ちました。アランはもう一人の主人公だったと思います。

 

 この映画は誰のために?―監督ジーンと指揮者ダルベール―

 ここでもう一度、ジーンの話をしようと思います。

前述の通り、撮影は無事にクランクアップするのですが、ジーンは編集作業に行き詰まってしまいます。観客を映画に夢中にさせられるよう、いろいろなパターンを試してみるのですが、どれもしっくり来ませんでした。それに加えて、相談できそうなポンポさんは次の映画のために海外へ行っていて不在という状況。そんなとき、ジーンは社内で偶然ポンポさんの祖父で名映画監督だったペーターゼンさんの姿を見かけます。ジーンは意を決してペーターゼンさんに編集に行き詰まっていることを相談しました。

そこで問題になったのは「映画は誰のためにあるか」ということでした。ジーンは最初に観客のためだと答えましたが、ペーターゼンさんの口から出た「君の映画に、君はいるかね?」という一言で「この映画を作るのは自分自身のためでもある」と気づかされました。ジーンは最高の映画を作り上げるため、帰国したポンポさんに「追加撮影をさせてほしい」と懇願します。ポンポさんはジーンのわがままに、いつになく厳しい態度で迫ります。解散したチームを再招集して諸々の準備をすることには莫大な金が掛かり、関わった人々に迷惑をかけ、たくさんの犠牲を生むのだと。それでも最高の映画を作りたい、一切妥協をしたくないという一心で土下座をしてまで必死でお願いしました。何がジーンをそこまで突き動かすのか、それには映画の内容も大きく関わっていました。

映画『MEISTER』は、帝王と呼ばれた天才指揮者ダルベールが演奏のことしか考えない横暴な振る舞いで周りに愛想を尽かされて大きな失敗を経験し、ステージマネージャー*1を務める友人コルトマンに勧められてスイスに傷心旅行へ行くというあらすじになっています。旅行先でリリィという少女と出会い、大自然のなかでリリィと過ごすうちに音楽以外にも大切なことがたくさんあることを知り、帰国して指揮者に返り咲くというのが大まかな流れです。

ジーダルベールは同類の人間でした。二人に共通していること、それは互いに一つの大切なもの以外をすべて犠牲にして生きていたことです。ジーンは映画、ダルベールは音楽。ジーンは元から何も持たず、ダルベールは家族でさえも犠牲にして*2ただ大切なものに命を懸けました。そして、ダルベールを理解することができるジーンだからこそ、彼の物語を完成させるためにはシーンが足りないことに気がつきました。それは家族がいた頃のシーンです。それがなければ、音楽のためにすべてを犠牲にし、リリィとの暮らしで学んだ大切なことをすべて音楽へと昇華させた、音楽のためだけに生きたダルベールという男の人生が霞んでしまう。映画監督として、同時にジーン・フィニという一人の人間として信念を譲ることはできませんでした*3ジーンの必死の懇願はポンポさんに聞き届けられ、制作中止の危機に陥りながらもこの映画のために命を懸けてくれたアランのおかげで制作を続けることができました。

追加の撮影を無事に終え、過労でぶっ倒れたりしながらも、ジーンは机にかじりつくように映画の編集に没頭しました。映画の編集もジーンやダルベールと同じでした。ジーンにとって、ひいてはスタッフにとって撮った映像はすべてが宝です。しかし、映画として完成させるためには極限までそれを削り落とさないといけない。編集する様子を横から眺めていたナタリーの悲しそうなリアクションの連続で、ジーンは編集する手を止めそうになります。ジーンにとっても大切なものを削ぎ落とすのは辛いことでした。ナタリーはジーンの手を見てその葛藤を悟り、最高の映画を見るためにジーンの背中を後押ししました。

そして、ジーンは戦いの果てに『MEISTER』を完成させました。私は、ジーンや制作に関わったあらゆる人間のすべてが結晶となって『MEISTER』という作品になった気がしました。涙なしでは見られないです。

 

さいごに ―ジーンとポンポさん―

この記事を締める前に、ジーンとポンポさんついて少し触れようと思います。

ジーンとポンポさんは、ジーンが会社に入る前に映画館で何度もすれ違っていました。ジーンが彼女について覚えていたのは、毎回エンドロールを見終えることなく劇場を出ていってしまうこと。

映画しか好きなものがなかったジーンに、映画を撮ってみたいと思わせたのは過去のポンポさんでした。彼女がエンドロールで余韻に浸ってしまうほどの映画を撮りたい。言ってしまえば、ジーンが映画を一番見てもらいたい相手はポンポさんだったのです。ポンポさんは「90分を超える作品は嫌いだ」という信条*4を明かしており、それが理由で劇中劇のMEISTERも、現実の私たちが見ている『映画大好きポンポさん』も上映時間が90分になっていますジーンが映画賞の授賞式のインタビューで自分の映画で一番好きなところを聞かれ、「上映時間が90分であること」を挙げたのは、マジで上手いなあと思わされました。第三者からは意味不明だけど、知っている人間にだけ伝わる言葉っていいですよね。恋愛要素のない作品ですが、ポンポさんは真のヒロインだったと思います。

『映画大好きポンポさん』は間違いなく名作です。私はこんな命懸けで生きられるような人間ではありませんが、命を懸けられるほどの何かを持っている人ってカッコいいなあと思いました。また、ジーン役の清水尋也さんの演技がすごくよかったです。素朴ながら力強さを感じる声と大事なシーンでの命を絞り出すような演技が、ジーンに噛み合っていましたね。俳優の声優としての演技は、ほぼ専業の声優とは違う魅力があって好きです。

ぶっちゃけると、こうして記事を書いている今も細かいシーンが結構頭から抜け落ちているので、やっぱり最低でも一回はまた見に行きたいところです。映画の感想書くのって難しいですね。でも、他の方の感想を見る前に自分のなかにあった感想を形にできてよかったです。あと、円盤は間違いなく買うと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

※一部本文を微修正(6/27)

*1:調べた限り、この役職の人物だと思うのですが、間違っていたらすみません

*2:離婚して逃げられたということ

*3:ジーンにそこまで思わせたのは、マーティンの名演あってこそでした

*4:素晴らしい内容でも観客に我慢を強いるような作品は娯楽として失格という考えがあるから

【感想】漫画『灼熱カバディ』を読んで ~コート上では誰もが主人公だった~

エアコンをガンガン掛けたい季節になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

前回、『灼熱カバディについてアニメの方の感想を書いたのですが、今回は原作を読んだ感想について書いていこうと思います。実はあの記事を書いた後、あまりに原作を読みたすぎてつい全巻まとめ買いしてしまいました。届くや否や、空いた時間にすぐ読み始めたのですが、普段は漫画を一気読みすることはあまりない自分が空いた時間を全て費やして一日ちょいで読破。ページをめくる手が止まらないとは、まさにこういうときに使う言葉なんだと思いました。

結論から言うと、アニメの時点でも期待度100%でしたが、

原作は500%ぐらいの面白さでした。神です。

ハイキュー!!』、『スラムダンク』、『アイシールド21』といったスポーツ漫画のトップにも肩を並べるほどの名作です。

『灼熱カバディ』の何がそこまで言わしめるのか、作品を概観しながら一つずつ魅力を話していこうと思います。

 

 

魅力その1 読者を圧倒する灼熱のアクション描写

ストーリーやキャラなど語りたいことはいろいろありますが、まずスポーツ漫画なら視覚で分かるアクション描写が重要です。やっぱり絵が漫画の顔ですから、そこがしょぼいと悲しいですよね。

その点、『灼熱カバディ』の絵は躍動感に満ち溢れていて真に迫るものがあります。

随所から画力の高さを感じるのですが、「肉体の描写」「汗や涙などの液体描写」「迫力や緩急を生み出す構図」「線の太さや質感の使い分け」の四つがすごいポイントです。なかでも最後の「線の太さや質感の使い分け」はこの作品における最大の特徴で、荒々しいタッチで描かれたキャラクターには読んだ人間の魂を揺さぶる凄みがあります。それの極みは17巻の最終盤で「彼」が活躍する場面ですね。あれは伝説です。

私は絵に関して全くの素人なので、絵を描く人が見ればもっと詳細に『灼熱カバディ』の画力の凄さが分析できるのではないかと思います。何にせよ、『灼熱カバディ』の絵は作品の熱さがこれでもかと伝わってきて、本当に素晴らしいです。

 

魅力その2 主人公たちの強くなる過程が面白い

次に、宵越ら能京が成長して強くなっていく過程が面白いです。

これはバトル漫画にも通じるかもしれませんが、練習(修業)パートが面白い作品には名作が多いと思うんですよね。そこでダレるかダレないかの差は大きいです。私が始めに挙げた『スラムダンク』と『ハイキュー!!』は特に練習パートを活かせている例です*1

地道な努力が実を結ぶ展開はとても熱いものですが、『灼熱カバディ』は練習で成長していく過程が丁寧に描かれています。その筆頭がやはり宵越で、彼が頭を使いながら手探りで活路を見出していく姿は、見ててワクワクします。アニメで奏和戦を見終わった段階だと宵越の強みが足技だと勘違いしていたので、合宿編で見せた方向性には「そう来たかぁー!」と思わず膝を打ちました。この作品では才能にかまけて努力を怠るタイプのキャラはいませんが*2、そのなかでも宵越は特に努力家な印象がありますね。もちろん、宵越だけでなく畦道たちもそれぞれ時には悩みながらも地道に努力を積んでいっています。それぞれが試合で努力の成果を発揮するところはどこも熱く、主人公が他のキャラにスイッチしたような感じさえあります*3

また、『灼熱カバディ』でキャラが成長を見せた瞬間のカタルシスはトップレベルの爽快さです。これは、キャラが報われるまで長いからなんではないかと思います。宵越はカバディを始めてから目覚ましい成長をしてきた反面、初めて勝つまでに何度も負けを経験していました。試合という意味では能京自体がそうですね。散々苦渋を味わわされてきた分、初勝利に歓喜する能京メンバーにはどこのチームにも負けない輝きが迸っていたように思います。

 

魅力その3 誰もが主人公に思えるほど魅力的なキャラクターたち

三つ目は記事の副題にもしましたが、物語という観点で『灼熱カバディ』の真髄といえるのが数々の魅力的なキャラクターたちでしょう。

まず宵越に関しては、主人公だけあって見せ場が多いので、もはや説明不要でしょう。能京の主力選手(王城・井浦・水澄・伊達・畦道)に関しても、スポットが当たる機会が多いため成長していく過程が丁寧に描かれており、準主人公的な立ち位置だと言えます*4。また、伴・人見・関の三人はまだ活躍の機会が少ないものの、成長していく姿には目を見張るものがあります。特に伴と関はチームを救う活躍をし、二人とも瞬間的に主人公になっていました。能京は熱いプレーで番狂わせを見せてくれる、思わず応援したくなるような王道的なチームだと思います。

 

しかし、この作品の主人公は彼らだけではありません。

 

物語に関わってくるキャラやチームの多くには、それぞれが主人公の物語を思い描けるほど厚いバックボーンが備わっています。スポーツ漫画によくあるように試合中にたびたび回想が入るのですが、回想でキャラやチームの過去を知っていく内に何故か相手を応援してしまっている瞬間があるんですよね。

私がそれを顕著に感じたのが、関東大会の奏和戦。正直、17巻の前半は完全に奏和を応援していたほどでした。まあ、奏和の片桐が三本の指に入る好きなキャラなので*5贔屓目もあるとは思いますが、色眼鏡なしでも奏和に肩入れしたくなる雰囲気が整っていたと思います。

もちろんライバル格だった奏和だけでなく、王座を追い求める強豪英峰、新進気鋭の埼玉紅葉、一回戦で戦った伯麗IS、二回戦で戦った大山律心、どのチームにも大なり小なり彼らの物語があり、「敵だけど負けてほしくない」という思いが込み上げてきます。個人的に印象深かったのは、大山律心ですね。大山律心は、大和という不気味な男が主将を務めるチームなんですが、「終盤に垣間見えた不気味な男の人間らしさ」と「大和とチームメイトの奇妙な絆*6」が琴線に少し触れました。

またカバディ選手だけでなく、脇役もいいキャラばかりなんです。能京高校野球部のエースで、体育祭の騎馬戦で宵越と火花を散らした安堂もその一人です。初登場こそガラの悪さが目立っていましたが、騎馬戦で宵越と対話するなかでアスリート然とした彼の信念が見えてきます。騎馬戦のあとにも、求められた形ではありますが悩む宵越に助言をくれるなど強者の風格があります。他には高谷の応援している女の子たちが応援団を結成した意外な経緯も明かされるなど、キャラを大切にしている感じが伝わってくる作品です。

 

魅力その4 個々のテーマの噛み合い方が半端ない

これは前章の内容と関連が深い話になりますが、『灼熱カバディ』はキャラが持つテーマと物語の噛み合い方が恐ろしく完成されているんですよ。

例えば、それが顕著に表れたのは合宿編。ここでは多くのキャラが成長していきましたが、関と人見が成長するキッカケを作ったエピソードも秀逸な出来でした。関は英峰の神畑に、人見は英峰の若菜に大きな影響を受けますが、ここの噛み合い方はすごかった。私は特に自分を甘やかしていた関が、命を削るような神畑のストイックさに感銘を受けて心を入れ替える展開がめちゃくちゃ好きです。

もちろん、ここだけでなく他にも関係性による相乗効果で爆発的な魅力や面白さを生み出している場面はたくさんあります。ここで一つ、ピックアップしたいのは伯麗戦の外園です。世界組だったものの不破という上位互換の選手がいたために日の目を見なかった彼は、勝敗を分ける場面で関と伴に決定打を受けて攻撃に失敗してしまいます。ここのモノローグを読めば分かると思いますが、外園というキャラに関と伴をぶつけてきたのは完璧といわざるを得ません。

テーマの扱い方が巧みであるというのが、この作品の面白さの秘訣かもしれません。

 

さいごに ようこそ灼熱の世界へ

ここまで作品の魅力について伝えてきましたが、『灼熱カバディ』は間違いなくスポーツ漫画史にその名を刻む名作中の名作になると思います。タイトルに灼熱と冠している通り、どこよりも熱いスポーツ漫画です。あまりに続きが気になりすぎてアプリで連載を追うようになりました。毎週火曜日がマジで待ちきれないです。

あとアニメなんですが、尺の都合で展開が大きく改変されてしまったのは残念でした。漫画のあとがきでも先生や制作陣が展開をどうするかで悩まれていたので、アニメとしてまとめるためには仕方ないとはいえ寂しいなあとは思いました。それでも、どうやって話を着地させるのか気になるので最後まで見る予定です。

今回は作品全体を見ていきましたが、時間を作れれば、特定のキャラや高校にクローズアップした感想記事も書いてみたいです。ここまでお読みいただきありがとうございました。

*1:代表例は『スラムダンク』なら花道のシュート練習・『ハイキュー!!』なら日向の宮城選抜合宿

*2:高谷は一見近い雰囲気がありますが、彼には独自の哲学があるので除外

*3:実際、宵越が試合中に空気になることも少なくないです

*4:個人的には水澄が宵越に次いで主人公適性が高いと思います

*5:片桐と奏和高校というテーマで記事を書きたいぐらいです

*6:奇妙と表現したのは、外野からはその信頼関係を理解しにくいものだと判断したので

【灼熱カバディ】これ本当にマイナースポーツか?【感想】

今日はちょっと灼熱カバディの話をしたいと思います。

私も最近はかなりアニメを見る量が減ってしまって、今期はいまのところ『灼熱カバディ』、『シャーマンキング(リメイク版)』、『SSSS.DYNAZENON』しか追ってません(ダイナゼノンは数話分溜めている)。そのなかで最も毎週楽しみにしているのが灼熱カバディなので、ちょっと取り上げてみようかなと思った次第です。あんまり深い話にはならないかもしれませんが、よければお付き合いください。

 

 

 はじめに ~作品の概要など~

さて、灼熱カバディ裏サンデーという小学館のサイトで連載されているスポーツ漫画で、現在は18巻まで単行本が出ています。ただ、私はまだアニメしか見ていないので今回はアニメ第7話までの内容の雑感になります。個人的にはかなり当たりの作品なので追々単行本も揃えていきたいです。

まず最初に説明すると、「スポーツが嫌いになった天才サッカー少年宵越竜哉(よいごしたつや)が、ひょんなことから能京高校カバディ部に入部させられ、だんだんカバディにハマっていき、仲間とともに成長していく」というのがこの作品のあらすじになってます。

 やはりスポーツ漫画の主人公の王道は「クセのある一芸特化型(あるいはトータルが高水準な上で特別な才能を持っている)」だと思ってますが、宵越も主人公の造形的には王道的なキャラクターですね。カバディでは部長の王城に次ぐ攻撃手(レイダー)です。ただ生意気なキャラでも先輩に敬語を使わないレベルの唯我独尊さはなかなかいない気がします*1。一方でサッカーをやめた代わりに生主を始めるという斜め上の行動や同級生の畦道に可愛い彼女がいて対抗心を燃やしたり、年相応な愛嬌が見られるのもいいキャラしてるなあと思います。

この宵越、とりあえず奏和高校との練習試合まで通してみて「マジでかっけぇな」と思わされたのですが、それについては少し後回しにして、カバディ部のチームメイトにも触れていきましょう。

まずは宵越の勧誘にやってきた一年畦道相馬(あぜみちそうま)。スキンヘッドで小柄な少年ですが、筋力が凄まじく背筋力を測定した際には規格外の数字を叩き出していました。役割は守備手(アンティ)。礼儀正しく純粋な心を持った熱血漢という感じのキャラで、性格に難のある宵越とも積極的に打ち解けようとしていくところに人の好さが見えますね。熱血漢も実直な性格も好きなので、いまのところ宵越と並んで一番好きなキャラです。

次にカバディ部副部長で三年の井浦慶(いうらけい)。眼鏡を掛けた頭脳派キャラで、カバディ歴も王城に次いで長いベテランです。攻撃手を務めています。優しそうに見えて、相手の弱みを握って脅しをかけたりする鬼畜な一面もある男ですが、基本的には面倒見がよく頼れる先輩です。スポーツ漫画的にはいわゆる凡人の立ち位置で、奏和戦ではいきなり熱いところを見せてくれました(これに関しても後述)。

二年にはやや軟派な雰囲気の水澄京平(みすみきょうへい)と無骨な雰囲気の伊達真司(だてしんじ)の二人がいます。少しタイプは違いますが、二人とも親しみやすくノリもいい先輩です。カバディでは三年の二人が攻撃手なので、守備手の要として活躍しています。二人ともフィジカルが強く、特に伊達はチーム随一のパワーを誇っています。

そして、最後はカバディ部部長で全国トップレベルの実力者、最強の攻撃手と名高い王城正人(おうじょうまさと)。普段は穏やかで物腰柔らかな性格をしていますが、実力者としての自負はあり、プレー中は人が変わったように獰猛になります。華奢な体格で病弱そうな外見とは裏腹に、攻撃に関しては他の追随を許しません。そのプレースタイルは「体格で劣っていても捕まらなければどうということはない」という印象ですが、守備の宵越を返り討ちにしたり、奏和戦では相手エースの高谷が本能的に危険を察知して王城の守備を避けるなど、まだまだ謎が多いです。ただ、作中で言及がありましたが呼吸がプレーの鍵になっているようです。

奏和戦のあとに三人の新入部員が入りますが、宵越を擁する能京高校のメインキャラはとりあえずこの六人です。主人公校特有のアットホーム感がすごく好きです。パーティーハットを被ったり仲良くトランプしたりしていた宵越の歓迎会(四話)はそういう空気感が特に伝わってきます。

簡単な説明をしたところで、ここからは作品の魅力を「カバディ自体の面白さ」、「手に汗握る熱い物語」という二つの観点で話していきます。

 

あっという間に偏見を覆す、カバディの熱量と面白さ

題材になっているカバディというスポーツですが、名前だけが一人歩きして大半の人間には馴染みのないものだと思います。私も他のコメディ漫画(確かスケットダンスだったかな……)でネタスポーツとして登場したのを見たくらいです。カバディに関する知識は「プレー中にカバディという掛け声をする」ぐらいしかありませんでした。しかし、『灼熱カバディ』を通してカバディについて学んでいくと、その面白さがみるみる分かってきました。

カバディは7対7で行われる、格闘技に近いチームスポーツです。

第一に攻守がターン制になっていて、攻撃手は「カバディ」と連呼しながら一人で相手陣に入り、守備手をタッチして自陣に帰還するとタッチした選手の数だけ得点を獲得します。守備側はその攻撃手を倒して自陣に帰らせなければ、1得点が入ります。作中で言われていたように、鬼ごっこに似ています。

これだけだとシンプルに思えますが、もちろん鬼ごっことは違って、攻撃にも守備にも様々なテクニックがあります。たとえば攻撃はタッチに足を使ってもいいのでキックで意表を突いたり、守備は攻撃手をコート際に追い込んだり一気にタックルして押さえ込んだりするのに手を繋いでチェーンを作ったり、という感じですね。己の肉体と技術だけを武器にして、緊迫した駆け引きと熱い攻防が繰り広げられます。加えて、攻撃手にタッチされた選手は味方が得点するまでコートを出なければならず、戦える選手が増減するのも緊迫感があってより一層カバディを燃えるスポーツにしていると思います。

アニメでも宵越のロールキックや、高谷が畦道に片足を捕まれたときにもう片方の足で畦道を蹴り飛ばしてキャッチから脱出するなど派手なプレーが見られますが、YouTubeにあったカバディのスーパープレー集でも世界のトップ選手がフィクション顔負けの化け物じみた動きをしていて高ぶりました。

カバディの発祥がインドなのは言わずもがなですが、その起源は狩猟の文化にあるそうです。攻撃手が獣で、守備手が狩人。カバディの熱く血が煮えたぎるような競技性はそこから来ているんでしょうね。

私はコンタクトスポーツが好きで高校時代にはラグビーをやっていたのですが、もしもカバディ部が高校に存在していたらカバディをやっていたかもしれない。それぐらい面白いスポーツだと思います。

 

闘いと勝利を追い求める者たちの熱き物語

『灼熱カバディ』はストーリーもカバディという競技に相応しい熱いものとなっています。ストーリーを語るならやはり第一に話すべきは主人公である宵越のことでしょう。

サッカー時代の経験からスポーツ嫌いになった宵越が、最初こそ入部は不本意だったものの、どんどんカバディに熱中していって大切な仲間もできて、スポーツの楽しさを思い出していく過程は見てて胸に込み上げてくるものがあります。

宵越ってかなり生意気で口が悪いのに不思議と嫌みは感じないんですよね。その答えは宵越は根っこが真摯だからだと思うんですよ。確かにコミュニケーションスキルに難はありますが、宵越が遠慮することなく自分の意見を伝えるのは、ある種の誠実さのようにも思えます。また、勝負で勝つためには最善を尽くす、というのはスポーツや試験でも絶対に必要なことです。ただ、それを常にできるかと言われればやっぱり難しいと思います。それを実践できている宵越は勝負に対して人一倍、真摯であると言えると思います。だからこそ、サッカー時代に実力的にも精神的にもついていけなかったチームメイトと軋轢が起こったんでしょう。そう考えると、宵越がカバディという新しいフィールドで肩を並べられる仲間に出会えてよかったなあと思います。特に畦道の影響は大きいですよね。畦道と宵越の歯車が噛み合う演出からみてもそうですが、練習で何度も一緒に戦った畦道が宵越にできた最初の仲間ですからね。畦道の精神的な強さに宵越が救われたという見方もできると思います。「『不倒』を初めて倒した男」という存在は宵越にとって想像以上に大きいんだなって、奏和戦後の二人のやりとりを見て感じました。こういうところを含めて、宵越と畦道が私は特に好きです。

宵越に焦点を当てて話しましたが、もう一つ、練習試合の奏和戦について触れないわけにはいかないでしょう。

奏和戦は本当に素晴らしかったです。奏和戦を見ててまず驚いたのは試合全体の熱量ですね。スポーツ漫画における最初の練習試合って、まだそこまで物語が温まっていない段階だと思うんですよ。もちろん燃えるポイントもありますし、キャラの成長には欠かせない展開ですが、盛り上がりは相対的に低いと思うんです。しかし、奏和戦は驚くことに初戦からフルスロットル。感覚的には「インターハイ予選でのちに再戦する強豪校に負ける試合」ぐらいの熱さでした。

こう感じたのは、この試合にドラマチックな要素が幾重にも重なり合っていたからだと考えています。奏和戦でキーになるのは王城、井浦、そして奏和主将の六弦ですね。高谷も奏和の脅威であり、宵越が越えるべき相手として重要なキャラですが、さっき挙げた三人、特に井浦が奏和戦のキーパーソンでしょう。井浦が六弦に「王城の友人」としか覚えられていないのは、凡人である証左と見なすことができます。スポーツ漫画で「凡人」という存在がどれだけ大事なものかは、いろんな作品を多く読んでいる人ほど分かるのではないでしょうか。六弦には見向きもされなかった井浦が、知略を尽くし仲間の力を借りることでやっと六弦を止めることができたのは、熱いと言うほかありません。六弦が王城の功績だと勘違いしていたチームの育成を頑張っていたのが、実際は井浦というのも、また熱いところだと思います。もちろん奏和戦が熱い試合になったのはそれだけではなく、畦道の負傷に加え、王城に高谷を倒す役目を託された宵越の活躍も外せないと思います。高谷と宵越の勝負は試合展開も目が離せませんでしたが、何より高谷と宵越のスタンスの違いが刺さりました。殺気を感じるくらい勝ちに貪欲な宵越がマジでカッコよかったです。

それと地味ながら観戦に来てたサッカー部監督の解説も良い味を出してたと思います。

 

まとめ

以上が『灼熱カバディ』の感想になります。競技環境を整備していくのは非常に大変だと思いますが、カバディはもっと世間に普及していいスポーツだと思いました。その面白さはメジャースポーツに比肩するくらいすごいです。

あと、アニメとしての評価について少し補足させてください。私もアニメの技術に詳しいわけではないのですが、灼熱カバディはスポーツ漫画にしては作画にあまり動きがない方だと思います。これは普通に考えれば短所だと思うんですが、それが気にならないくらい要所要所の迫力満載な作画に臨場感ある劇伴がすごいんですよね。特に劇伴は神懸かり的なクオリティです。アニメの円盤はほとんど買わないんですけど、サントラは購入確定です。

これだけ熱くて面白いのにまだ序盤なんですから本当に驚きです。続きが本当に楽しみです。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

*1:そもそもタメ口はキャプテンなどのまとめ役に咎められるので

【ホレンテ島の魔法使い】魔法のような夢か、夢のような魔法か【1巻 感想】

春の面影はすっかり消え、初夏の気配が表れてきたこの頃だが、いかがお過ごしだろうか。緊急事態宣言下で大変なご時世だが、今日も好きな作品について語っていこうと思う。今回は数ヶ月前に一巻が発売された『ホレンテ島の魔法使い』の話をさせていただく。

 

※この記事は『ホレンテ島の魔法使い』1巻のネタバレを含みます

 

 

はじめに

『ホレンテ島の魔法使い』の概要

 大昔いたという魔法使いの伝説を観光資源にしているホレンテ島。この島の魔法は全て作り物…のはずが、不思議な能力を使える人達が現れ…? 果たしてこの島の魔法は夢か現かー…? 謎解き伝承ファンタジー、待望の第1巻!

出典:ホレンテ島の魔法使い│漫画の殿堂・芳文社

 大まかな概要は芳文社の作品紹介ページにある通りだ。

もう少し詳しく書くと、「魔法使いを探しにホレンテ島へ旅行しにきた主人公貰鳥あむ(もらとりあむ)が夜空を飛ぶ魔法使いの影を目撃したことをキッカケに、その魔法使いを見つけるためホレンテ島に移住してくる」というのが本作のあらすじである。人物紹介は後述するが、主に主人公の「あむ」と同級生の「かるて」「詠」が魔法使い、ひいては魔法にまつわるホレンテ島の秘密を探っていくのが、物語の本筋となる。

タイトルにもなっている舞台「ホレンテ島」も設定がなかなか凝っており、この作品の魅力の一つになっているので、そちらもこれから紹介していく。

ホレンテ島の住人たち

それでは早速、登場人物について紹介していこう。この作品のメインキャラは五人の女の子で構成されている。

一人目は主人公である貰鳥あむ(もらとりあむ)。由来は文字通り「モラトリアム」に因んでおり、他の四人も何らかの言葉をもじった変わった名前をしている。彼女はホレンテ島へ越してきて帽子屋「ピフ・パフ・ポルトリー」に下宿している高校生だ。容姿は桃色の癖っ毛と二つの◆型髪飾りが特徴だ。。好奇心旺盛で行動力に溢れており、活発な性格をしている。喋り方はやや中性的で、時に見せる堂々とした立ち振る舞いからは凜々しさを感じることもある。

二人目は帽子屋の看板娘尾谷こっこ(おやこっこ)。由来は「親孝行」だと思うが、字面のままではないので少し自信がない。彼女は真面目な性格で、島の観光産業で重要な位置を占める帽子屋で働いているのもあるのか、商魂逞しい一面がある。大人しそうに見えて歯に衣着せぬ物言いが多かったり、タピオカ屋で詠と繰り広げた議論では真剣に無茶苦茶な主張をしたりと、エキセントリックなところも比較的見られる。また、ホレンテ島の秘密を知っている節があり、物語の鍵を握る一人でもある。

 三人目は大通りのレストランで働くボクっ娘亜楽かるて(あらかるて)。由来はフランス語の「アラカルト*1」になっている。茶髪のツインテールが特徴のキャラだ。気さくで好奇心旺盛な性格で、個人的にはあむと似た気質の女の子だと思う。ただ、あむと違うのは聡明で機転が利くところだ*2。作中ではある理由からあむの魔法使い探しに協力するのだが、謎解きに関しても、ある理由によってかるて中心に進んでいく。その洞察力には舌を巻くこともしばしば。

四人目は島では有名な本屋の一人娘である都橋詠(とばしよみ)。由来はおそらく本に因んで「飛ばし読み」になっている。片目隠れの白い長髪が特徴で物静かな雰囲気を醸し出している。実際、性格も物静かで恥ずかしがり屋の気も見られるなど内向的な方だが、一方で立ち読み客には頑とした態度で臨んだり、もっと島の歴史を知ってほしいと思うほど強い郷土愛を抱いていたり、芯の強さも秘めていることが窺える。

五人目は老舗酒屋の孫娘で観光ガイドをしている裳之美ユシャ(ものみゆしゃ)。由来は「物見遊山」だと思われる*3。ふわふわな翡翠色の髪にフリル付きのカチューシャがトレードマークで、五人のなかで一番スタイルがよく、雰囲気はおっとりしたお姉さんといった感じである。しかし、ユシャは作中でダントツに濃いキャラをしている。観光客向けにガイドの仕事をしているときは雰囲気そのままなのだが、普段の一人称は「オラ」で、語尾に「(~する)だよ/だ/べ」を多用するなどバリバリ方言を話す田舎っ子である。そして、素はマイペースな穏やかさと強かさを持ち合わせた逞しい性格をしている。また、ユシャはこっこと似たようにホレンテ島の秘密を知っている節があり、物語の鍵を握っている。

 以上の五人以外には五人の親族が数人登場しているが、こっこの養父である黒猫の獣人、通称先生はとりわけ重要な人物である。大らかで優しい理想の父親的な性格をしているが、一方で島の真相を知っている素振りがあり、そもそも本人に謎が多いので、ある意味この作品のキーパーソンかもしれない。

と、一通り簡易的なキャラ紹介を終えたので、そろそろ作品の魅力へ本格的に迫っていきたい。

 

独特で魅力的な物語の舞台「ホレンテ島」

この作品を語るにあたって真っ先に触れなければいけないのが、物語の舞台「ホレンテ島」についてだ。

ホレンテ島は「かつて存在したといわれる魔法使いの伝説」を観光資源にしている島だ。この島では魔法使いになれる「ごっこ遊び」を売りにしており、前述した先生とこっこがいる帽子屋で帽子と一緒に魔法を掛けてもらってから街で遊ぶのが王道的な楽しみ方である。観光スポットとしてのホレンテ島の姿は、第一話であむの視点から見ることができる。ここで働く人間たちはいわば夢を売っている仕事なのだが、「魔法使いはいるか?」という旨の質問には大抵の人間が口を揃えて「いない」と即答するなど、夢の島なのに現実を突きつけられる微妙な生々しさがある。また、街全体が商魂逞しいのも特徴で、あむに「儲かれば 良かれというの ホレンテ島」と川柳を詠まれている。これらをよく表しているのは、こっこと詠が魔法使いのタピオカ論争を繰り広げる回だろう。こっこの荒唐無稽だがどこか興味を引く仮説は、ホレンテ島がユーモラスな場所であることを示しているように思える。とはいっても奇抜な言い伝えばかりでもなく、街の歴史もなかなかに面白い。単行本おまけの名所案内は必見である。

と、ここまではあくまで微妙な残念さを含め観光地としてのホレンテ島の姿である。本物の魔法使いはいないけれど、楽しい夢を与えてくれる場所というのがホレンテ島だ。しかし、ホレンテ島のすべてが夢の島というわけじゃない。街から一歩外へ出ると、言葉にできない物悲しさに襲われるだろう。

ここがホレンテ島の夢の終わり

夢の魔法と現実の境界線 人呼んで『ざんねん坂』

ここに来れば誰もが自分の住んでる本来の日常の世界を思い出しちまう(ユシャ)

出典:ホレンテ島の魔法使い・一巻p74

この台詞が登場した回は、あむが島の名所や歴史を学ぶ研修としてユシャと街を歩く話なのだが、最後に訪れるのがこの『ざんねん坂』だ。あむとユシャが坂から夕焼けの街を見下ろすコマは、奇妙なインパクトがあった。あまりに不釣り合いな純日本的な光景が広がっているからだ。ガードレールの側には日常的なお店の看板と交通標識が立っていて、反対の路傍には道祖神の石碑がちょこんと鎮座している。

ユシャは先ほどの台詞のあとにこうも発言している。

これがこの島の現実

かつて魔法使いはいたかもしれねぇけど  まぎれもねぇ

ここは 現代社会の中にある ただの小さな島の町だよ(ユシャ)

出典:ホレンテ島の魔法使い・一巻p74

 この「夢だけで終わらず、平凡な現実と隣り合わせの世界観」は紛れもなくホレンテ島の魅力で、作品に深みを与えている。ちなみにホレンテ島は日本の領土である可能性が極めて高い。比較対象として『ごちうさ』を挙げると、ごちうさは欧風をベースに日本的要素も時々見られ、何よりキャラの名前も日本名であるが、現実の地理と照らし合わせて舞台がどこにあるのかは不明である。対して、こちらは日本や諸外国の存在が作中で仄めかされており、例を挙げると「ユシャの話すボンドルゴラ弁は東北弁にルーツがあり、魔法使いがロシアと樺太を経由して島にやってくる過程で東北弁を身につけたという学説もある」、「タピオカ論争でキャッサバの原産地は南米だという言及がある」というものがある。また単行本未収録の範囲ではあるが、「移住者のあむとかるてが実在する日本の鉄道路線*4の名前を会話で出す」という件もあり、諸々を考慮すると、ホレンテ島が日本国内であるのはほぼ間違いない。

さて、ホレンテ島について解説をしてきたわけなのだが、意図的にある話題を飛ばして語ってきた。そう、「魔法」についてまだ触れていない。魔法はこの作品の核心だが、もとよりネタバレを含む感想なので遠慮なく話していこうと思う。

現実の中にある「魔法」と、その謎を追い求める少女たち

実は最初に取り上げた公式のあらすじにも「不思議な能力」と魔法について示す文言があった。前項で何度も繰り返してきたように、表向きのホレンテ島は「魔法なんて存在しないただの風変わりな島」である。しかし、本当はホレンテ島には魔法が存在している。作中では、あむ以外の四人はそれぞれ自分の魔法を持っている。かるては「念動力」、詠は「瞬間移動」、ユシャは「物を破壊する*5」という魔法を持っており、こっこに関しては詳細は一切不明だが一巻の時点で魔法らしき能力を使っている場面があるので、何らかの魔法を使えるのは間違いないだろう。

しかし、結論から言うと一巻の時点で魔法に関する情報はまだあまり出ておらず、語れる部分は多くない。後述する公会堂のミュージカルで魔法を使うかるてたちを見た商工会長の八愚楽が「断片持ち」と彼女たちを指して言ったが、それも現段階では考察材料が足らず憶測を語ることしかできない。

ただ、魔法の正体に関わる『カトリネルエ』という民話が一巻に登場する。なので、その民話について簡単に解説しようと思う。あらすじは次のようになっている。

むかしホレンテ島の高台のとある家に

カトリネルエという女の子が住んでいました

家から出ることのできないその子は

毎日丘の上から島の人達に歌声を届けました

不思議なことに高台から響く歌声は島の隅々にまで届いたそうです

彼女の歌声を聴いた島の人達は病気が治ったり怪我が治ったり

たくさんの幸せを分けてもらったそうです

後に島の人達が彼女を祀り高台に設置したお地蔵様は

『香取観音』として今日も親しまれています

 

『香取観音』 ホレンテ交通バス『観音前』より徒歩三分

出典:ホレンテ島の魔法使い・一巻p77

 その内容は民に奇跡による治癒を施すという宗教的な要素を含んだ王道的なお話である。一巻の終盤に、あむが公会堂の完成記念式典の出し物で、カトリネルエをモチーフにした創作童話のミュージカルをやりたいと皆に提案する場面がある。そこであむは歌と魔法を結びつけて「歌にのせてたくさんの人に魔法の力を届けた」という設定を童話に組み込むのだが、こっこやユシャの反応が芳しくなく、こっこの目配せに先生はこう胸中で語った。

まぁそうだろう 裳之美のジジイは許すまい

思想は面白いが 肝心の 創作の内容が

核心を突き過ぎている(先生)

出典:ホレンテ島の魔法使い・一巻p94

 これは史実でも「特定の人物(例えば魔法使い)が何らかの手段で島民に魔法の力を届けた」ということを意味するのではないかと思う。カトリネルエの話も、魔法にまつわるエピソードを奇跡物語に置き換えて書かれたものという説明ができるし、前述した「断片持ち」というのも「特定の人物の魔法の断片」と捉えれば、この説との関連性も見える。

とはいえ、ホレンテ島の魔法について掘り下げていくにはまだまだ情報が少なく、憶測の域を出ないため、設定そのものへの言及はここまでにしておく。ただ、現時点でも設定の開示の仕方が素晴らしいということははっきり言える。キャラクターの動かし方にも関連しているが、かるてが話の最後で魔法を使えるところを見せたり、詠に魔法を使わせるために策を講じたり、民話や歴史的な文献から魔法の存在を仄めかしたり、魔法の正体を追っていく流れがすごく面白い。個人的にはこの謎解きアドベンチャー的な要素が続きを読ませる役割を果たしていると思う。

作品を鮮やかに彩る、挑戦的なミュージカルパート

ここまで語ってきた設定面以外にも『ホレンテ島の魔法使い』にはもう一つの大きな特徴がある。それは随所にミュージカルパート*6が入ることだ。あむとかるてが友達になった日にアパートで仲良くセッションしたのが最初のミュージカルパートで、以降もたびたびそういったシーンが入ってくる。そして、ミュージカルが入る場面はどこも印象的で「酒屋のプロモーションのために詠に演歌を歌わせる場面」はなかなかユニークだった。

ミュージカル、もっと言えば「歌と音楽」はホレンテ島のサブテーマになっていると思う。「音楽はみんなを笑顔にする」というのはよく言われることだが、それはこの作品でも例外ではなくミュージカルパートからは音楽の無限大なパワーを感じさせられる。聴衆を笑顔にするのもそうだが、歌ってる・演奏している本人たちが楽しんでいるのも画面から伝わってきて、読んでてちょっと愉快な気分になる。

ただ、音楽を扱った漫画には、肝心の音を漫画では表現できないという避けられない宿命がある。たとえば吹奏楽を扱った作品で既存の楽曲を登場させる場合には比較的影響が小さいと思われるが、オリジナル曲は作者と読者でメロディーが共有できず各々が想像するしかないので、賛否が分かれるところだと思う。個人的には好意的にこの作品のミュージカルを受け止めている。というのも、音楽がついていなくともミュージカルパートが作品として成立していると思うからだ。作品の雰囲気が反映された独特な歌詞に、活き活きと動くキャラクター、空気感を伝えやすくするための多彩なトーンの使い方、手書きの台詞が多用されているなど、ミュージカルパートには様々な工夫が凝らされている。まさに挑戦的な試みである。

ちなみに私があむとこっこの残業ミュージカルが非常に好きで、「ゆるふわ☆コンプライアンス」と、「あー残業も悪くないわね~♪」とこっこが言った後に二人が声を揃えて「たまだったらね~!!」と歌を締めるところが特にお気に入りである。後者は間の使い方も巧みだった。もしうろ覚えであれば、ぜひ読み返してみてほしいところだ。

 

まとめ:ホレンテいいとこ一度はおいで

ここまで『ホレンテ島の魔法使い』の魅力を存分に語ってきたつもりだが、作り込まれた設定にしても面白い工夫が凝らされたミュージカルにしても、やっぱりキャラがいいからこそ良い作品へと昇華されるものだ。

この作品の魅力は、公会堂のミュージカルの話にすべて詰まっていると思う。カトリネルエを基にした物語にはユニークな世界観の一端が見えるし、それ以前のミュージカルパートの積み重ねも活きていて、舞台でそれぞれの役を演じるあむたちには可愛らしいだけでなく「絶対にこの舞台をやり遂げる」という勇ましさも感じさせられた。そして、地味ながらこの話で重要な役割を果たしていたのはユシャの祖父である八愚楽だ。島の権力者側としてユシャと二人の部下に舞台をやめさせるように差し向けるが、一方で「絶対に怪我はさせるな」と釘を刺していたり、ユシャがあむたちに加担した際には部下たちにこう言っている。

小火木 戸面 もはやどうにもならん 命令変更だ

舞台を死守しろ (部下:やった~!) 

あの小娘 初めてワシに盾突きおった 支えてやってくれ

出典:ホレンテ島の魔法使い・一巻p113

 上演中の八愚楽や部下の言動は、ホレンテ島の気風というのをよく表していると思う。いろんな思惑が絡みつつも根底はやさしい世界であるとを示したのは重要なことだ。

読んでて心が躍る一方で、温かい気持ちにもさせられる『ホレンテ島の魔法使い』は本当に素晴らしい作品だ。物語はまだまだ始まったばかりで謎も多いので、この世界で次はどんな出来事が繰り広げられるのか楽しみで仕方ない。そんな風に胸を躍らせながら、今回はこの辺りで締めさせていただく。もし偶然この記事を読んでいただけたなら、感謝の限りである。

*1:アラカルテは表記揺れと思われる。

*2:あむも転入試験を楽勝と言い切った辺り、頭は良い方と思われる。

*3:ちなみに裳之美酒店で代々世襲されている「裳之美八愚楽(ものみやぐら)」という名前は読んで字のごとく「物見櫓」が由来だろう。

*4:総武線東西線

*5:能力の詳細は明言されていないので現在は不明

*6:筆者はミュージカルの厳密な定義を知らないため、そもそもこれらはミュージカルではないという意見を持つ方もいるかもしれないが、そこは大目に見ていただいてほしい(最後の演劇はミュージカルだと思うが)。

ガルパンのキャラクターってすごいよね、という話。

新生活が始まって二週間くらい経ちましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今日は最近のマイブームになってるガルパンについて語ってみようかなと思います。あと、ブログの説明にも一応記載してるんですけど、レポートみたいに*1気合を入れたものは常体で、フランクに語りたいものは敬体で行こうと思います。よろしくお願いします。

 

※アニメシリーズをすべて見ている前提で話すのでご注意ください。

 

さて、ガルパンといえば先月末に最終章第三話が公開されて世間的にも熱くなってることだと思います。私も二回ほど映画館に足を運びましたが、期待を裏切らない最高の出来でした。
知波単戦は想像以上に緊迫した展開が続きましたねー。第二話の時点で一筋縄ではいかないことは分かってましたが、地の利を考慮しても大洗があそこまで追いつめられるとは思いませんでした。あんこう撃破で油断してなければ大洗は本当に負けてたでしょうし、突撃やめるだけであんなに強くなるとは……恐るべし知将福田。アンツィオぐらいなら普通に勝てそう。
各校の勝敗も興味深かったですね。継続と聖グロは勝つだろうなと思ってましたが、黒森峰、というよりエリカが想像してたより強くてびっくりしました。よく考えてみれば、プラウダより黒森峰が勝つ方がストーリー的には自然ですが、盤石のプラウダを機転を利かせて撃破したエリカ率いる黒森峰はかなり燃えました。戦術論みたいなものはさっぱりですが、柔軟な立ち回りはみほを想像させますね。決勝は聖グロ一択だと思ってましたが、個人的には黒森峰が来た方が熱いなあ……。あと、エリカの謎ポーズもすごく可愛かったですね。
で、肝心の継続戦は序盤で主力のあんこうが撃破されるという緊急事態に。作中屈指のスナイパーと思われる"白い魔女"ヨウコ、どんな子なのか気になります。モチーフはフィンランドの英雄シモ・ヘイヘらしいですけど、そりゃ強いですよね。大洗の立ち回り的には、まだ目立った活躍のないサメさんとフラッグ車のアリクイさんに期待してます。特にサメさんチームの戦車が素人目でも強そうに見えないので、どう活躍させるのかがめちゃくちゃ楽しみです。

 

と、最終章の話になってしまったのですが、今日のテーマは話の感想ではないです。タイトル通り、ガルパンのキャラってすごいよねというのが主題です。ハマって以来ずっと思ってたことなので、前からのびのび語ってみたいと思ってました。そもそも私がガルパンにハマった時期ですが、記憶が正しければ2019年の秋とめちゃくちゃ遅かったんですよね*2TVシリーズが始まった2012年には既に深夜アニメを見てたので、見る機会はあったんですけど如何せん戦車のことをまったく知らず、とっつきにくさを感じて見ませんでした。そして、かなり時間が経ってアマプラに入ってたからという理由で見始めたんですが、これが面白い面白い。1クールでここまで密度の高い内容に仕上げられるんだなという驚きが一つ。戦車道は競技なのでスポーツものに分類していいと思うんですが、一般的なスポーツものと比べると、試合の尺が短いのにしっかり見応えはある。むしろ内容の濃さとテンポの良さを両立しててすごいと思いました。何より私のように戦車の知識が皆無でも見られるように工夫されてて親切ですよね。正直、いまでも戦車の名前はうろ覚えなんですけど、姿形やどういう特徴の車両かなどは意外にスッと頭に入りました。あと、ガルパンといえばそもそも戦車道や学園艦の存在など世界観がぶっ飛んでます。工学などの知識がゼロでも現実に存在しない時点で実現不可能あるいは困難であることは明白ですよね。しかし、これらの科学的考証は見たことはないものの、個人的には違和感をまったく感じない、逆にこの世界に入ってみたい(戦車で民家や店が壊れるのは勘弁ですが)となる魅力が備わってると思います。フィクションとしてハッタリのかまし方、嘘のつき方が下手な作品だと、おそらく違和感が表れてくるでしょう。感じ方は人それぞれですが、大胆な設定を魅力と捉えてるのは私だけではないと思います。

 

そして、そんなガルパンの中核を成す要素が個性豊かなキャラクターたちだと思います。包み隠さず言えば、ガルパンを見る前は「キャラ多すぎて覚えられないわ」なんて思ってましたが、結論そんなことはなかったです。一つ断っておくと、一通り見ただけで全員の名前を一気に覚えるのはおそらくかなり難しいです。他校はメインキャラを絞ってあるのでまだ覚えやすいですが、大洗に関しては特に難易度が高いと思います。だけど、それは名前に限った話だと私は思っています。「何となくこんな子がいたな」というレベルなら早い段階で覚えられます。名前も印象を掴んだ上なら公式サイトやWikiで確認して覚えられると思います。
で、なぜキャラを覚えやすいと考えているかと言うと、ズバリ掛け合いや台詞回しが秀逸でキャラの個性が強く表れているからなんです。まず、大洗のあんこうチーム以外はチームや学校ごとのカラーがはっきりしてます。もはや説明は不要かもしれませんが、簡単に列挙すると大洗は『生徒会』『バレー部(人数不足)』『歴女』『下級生』『風紀委員』『自動車部』『ゲーマー』『海賊(不良)』というグループに分かれてます。そして、日常から試合中の描写など隅々までグループの個性が出てます。例えば、バレー部は試合での作戦や行動をバレーに置き換えて考えていたり、歴女チームは古代ローマ、近代ドイツ、幕末、戦国時代とそれぞれが専門分野を有しており、歴史に関する例えを頻繁に使うなどが挙げられます。他校はまんま外国がモデルなので方向性も各国のイメージに寄ってます。例としては、イギリス枠の聖グロリアーナは基本的に優雅な淑女の集まりで試合中でも紅茶を飲んでいる、イタリア枠のアンツィオはラテンっぽく陽気な雰囲気で食事への情熱が何より強い、という具合です。このように各チーム・各学校に特有の雰囲気やノリがあり、それが掛け合いや台詞回しに如実に出ているのです。
掛け合いや台詞回しに関してはどのキャラでも好きなのですが、そのなかで強いて挙げるとするなら、私はウサギさんチームのノリが特に好きですね。劇場版にて繰り広げられたサンダースのアリサとウサギさんチームとの掛け合いはキャラ描写という観点でガルパンの真価を感じます。劇場版は大洗と各校主力のオールスターだったのもあって、意外な組み合わせがたくさんで掛け合いは面白いものばかりでした。
また、もちろんガルパンの解像度の高いキャラ描写はコメディだけでなく、シリアスにも活きています。先ほどと同じく劇場版から印象的だったところを二つ、紹介させていただきます。一つは大学選抜戦の撤退中にカチューシャを守るためにプラウダ高校のみんなが犠牲になるシーン。ここで肝なのは劇場版が初登場になったクラーラの描写で、ノンナとクラーラに「ロシア語じゃなくて日本語で喋りなさい」と怒るカチューシャという件をギャグでやった上で、初めて日本語で喋ったシーンが別れ際だったのは本当にニクい演出です。初めて見たときマジで泣きました。次いでニーナにアリーナ、ノンナも自ら囮になってカチューシャを守る姿に、プラウダの強い信頼関係が見えて素晴らしいです。そして、もう一つはカモさんチームの活躍です。風紀を守るという使命を失って自暴自棄になっていたのを遅刻魔の麻子に一喝されて再起する展開が熱く、それを象徴するそど子の台詞、エキシビジョンマッチの「規則は守るためにある」からの大学選抜戦で「規則は破るためにある」という流れはすごく爽快でした。風紀委員というキャラが活きているのを感じさせます。ガルパン劇場版は不朽の名作です。

 

そんなわけでガルパンのキャラクターってすごいよね、というお話でした。キャラの掛け合いをもっとたくさん見たい聴きたいと思って、ちょっと前にドラマCDを五枚購入して聴いたのですが、みんな可愛いしめちゃくちゃ面白かったです。お気に入りは大洗のみんながそれぞれバイトをするやつ(特にカバさんとウサギさん)とあんこうチームがそれぞれ他校に訪問するやつ(特にアンツィオと沙織)で、最終章のドラマCDも早く余裕ができたら買いたいですね。というところで今回は締めさせていただきます。ありがとうございました。

*1:といっても感想に過ぎませんが

*2:ちなみに時期を覚えてる理由は最終章第一話まで見終わったあと、上映終了間近に第二話を観に行ったというエピソードがあるから

【ブレンド・S 感想】可愛いだけじゃないアイドル志望の男の娘【神崎ひでり】

今回は『ブレンド・S』のアイドル属性担当ひでりん、もとい神崎ひでりについて語っていきたい。

ブレンド・Sを読んでいる諸兄ならご存じのように、ひでりは男の娘という強烈な個性を持っているキャラだ。マニアックな層には深く突き刺さるであろう属性だが、本作において男の娘であるひでりの立ち位置は作品の面白さに大きく寄与していると私は考えている。どんな作品においても、男の娘はときに他のヒロインを凌駕しかねない人気が出たりもするぐらいインパクトのある存在だが、ブレンド・Sにおいてひでりが存在する意味は比類ないほど重要なものだ。彼自身の魅力についても触れながら、ひでりが如何に重要な存在なのかを話していこうと思う。

 

 

ティーレの人間関係

ひでりについて語る前に、軽くブレンド・Sの概要とキャラクターを軽くおさらいしておきたい。

ブレンド・SはドSやらツンデレやら妹やらとギャルゲーのごとく色んな属性の女の子(演技)を詰め込んだ喫茶店が舞台というのもあり、女の子だけでも結構濃ゆい面子が揃っている。

礼儀正しいけど目つきが悪いせいで誤解されやすいドS属性担当の苺香ちゃん、ゲーマーで元気っ子だけどお店ではツンデレ属性担当の夏帆ちゃん、小学生くらいの見た目をしているが中身はクールな女子大生で妹属性担当の麻冬さん、物腰柔らかでおっとりした雰囲気だが人気同人作家の顔を持つ姉属性担当美雨さん(作品はほとんど成人向け)、そして可愛い見た目をしているが素の性格は口が悪く生意気なアイドル属性担当ひでり。

この五人のウエイトレスの他に、紳士的だが重度のオタクでヘタレな店長ディーノと比較的しっかり者だが百合になると熱くなるツンデレ担当よりツンデレな秋月くんのキッチン担当二人を合わせて七人のスタッフが在籍している。また、五巻から七巻収録範囲に掛けて麻冬さんの友人で真面目だが冗談の通じないバンドマン彩人さんが臨時スタッフとして加入している。

さて、ここで一つ詳細な人間関係にクローズアップする前に、今後の説明のため八人のメインキャラを簡単にいくつかの基準でグループ分けしてみようと思う。

基準はざっくりと年齢・性別・エロへの耐性の三つで分けていく。順に行こう。

 

①年齢

高校生以下:苺香・夏帆・(ひでり)

大学生以上:店長・秋月・麻冬・(美雨・彩人)

②性別

女性:苺香・夏帆・麻冬・(美雨・彩人)

男性:店長・秋月・(ひでり)

③エロへの耐性

低:苺香・夏帆

中:麻冬・(彩人)*1

高:店長・秋月・(美雨・ひでり)

 

 項目③エロへの耐性に関しては明確な基準がないので主観が入ってしまっているが、概ねこんな辺りだと思う。

 

さて、ここから時系列を辿りながら作中の人間関係について掘り下げていこう。

初期メンバーの苺香ちゃん・夏帆ちゃん・麻冬さん・店長・秋月くんだが、カップリング的には店長×苺香ちゃん(以下店苺)・秋月くん×夏帆ちゃん(以下秋夏帆)が軸になってラブコメ要素は進んでいくことになる。

 初期メンバーだけで話が進む一巻はラブコメ的にはまだまだ様子見で、主人公の苺香ちゃんを中心に据えたスティーレの日常が描かれる。

この時点で店苺に対する他のキャラの役割は、

 

夏帆ちゃん→人並みに他人の恋愛に興味を示すマイルドな賑やかし

秋月くん・麻冬さん→店長の奇行に厳しいツッコミポジション

 

といった感じだろうか。五人それぞれ個性は強く掛け合いも光るものがあるものの、ラブコメとしてはいまいちパンチの弱さを感じる。また初期の五人は誰も下ネタをぶっこんだりしないので、ちょっぴりエッチな場面はあれど比較的健全な雰囲気が漂っている。

そこに投下された爆弾が美雨さんと本記事の主題であるひでりである。

二巻から加入の美雨さんは創作のネタ探しが動機なこともあって、積極的に周囲(主に店苺)の恋愛事情に関わっていく。それに加えて大人組で積極的に下ネタをぶちこんでくる立ち位置というのも初期の五人にもない特徴で、メタ的に見れば本筋となる恋愛の進行に大きく寄与するキャラだ。

そして三巻より加入のひでりは、新たな風を吹かせた美雨さん以上にこの作品に革命を起こした存在だ。スティーレでは将来の夢もあってアイドル担当ではあるが、実際は男の娘という属性のウエイトが圧倒的だと思う。そして、この「男の娘」というのが肝である。メインの客層が男性なため、コンセプト的にもホールに男性スタッフが入ることは原則ない。なので必然的にキッチン担当とホール担当で性別が分かれることになる。現実的な観点ではキッチンに男性スタッフを雇う可能性もあるが、きららというジャンルを考慮するとラブコメといえど新たな男性キャラの投入は通常考えにくい*2

しかし、ひでりは性格はともかく容姿は女の子と遜色ない可愛さでアイドル志望としてのプロ意識でファンサービスも厚いため、例外的にホールに入れる男キャラになっているのだ*3。着替えのとき以外は自然に女の子側に混じれる特別な存在である一方、王道的な男の娘と違って性格は生意気なクソガキでアイドル的な可愛げはなく、年相応な少年寄りの味付けになっている。これはすなわち、ひでりは疑似的なヒロインの立ち位置に留まらず、三人目の男キャラという役割をしっかり果たすことができるということを意味する。「見た目が女の子でも性別が男なら女性扱いできない」という店長とは悪態を吐き合う仲で、秋月くんとはヘタレだったり奇行に走る店長を一緒に詰ることも多く、先輩と後輩のような関係を築いている。どちらも男同士でなければ生まれなかった関係性で、ひでりの加入は店長と秋月くんの新たな一面を引き出したと言ってもいいだろう。これだけでもブレンド・Sにおいて、ひでりの男の娘という要素は存分に活かされており、作品に幅をもたらした。また、ひでりも美雨さんほどではないが他人の恋愛に関わっていく方で、下ネタも回していけるので女子高生二人には聞かせられない話題(大抵は美雨さんが発端)にも普通に参加できるなど、本当にマルチな役割をこなせるキャラだ。

これが神崎ひでりがこの作品において重要である最大の理由となる。

 

ひでりのキャラクター性

可愛いアイドル志望とは裏腹に少年的な内面

ここからはひでりのキャラクターについてクローズアップしていこう。

「僕…可愛いアイドルになるのが夢なんです。この可愛さはそのために神様が与えてくれたものだと思うんですよ」

「自分で言ったぞこいつ」

「でも両親がわかってくれなくて…だからまずここでファンを作って僕がどれだけ才能があるか見せつけたいんです。じゃなきゃ農家を継がなきゃいけなくなるんですぅぅぅ。虫に囲まれるのは嫌だぁ! 豚が…萌え豚がいいーーーー! ちやほやされたいのーー!!」

出典:ブレンドS・三巻p16 

 秋月くんに志望動機を聞かれたときの答えがこれである。簡潔に言えば、ひでりは可愛い自分が好きなナルシストで口の悪い男の娘だ。自分の可愛さには余念がなく、店の制服を自分好みに(無許可で)アレンジしたり、ファッションに対する造詣の深さを見せるところも散見され、可愛さへのこだわりがよく伝わってくる。また、アイドル属性を謳うだけあり、アイドル的なファンサービスに溢れた接客からも自分の可愛さへの自信が伺える。

そんなひでりだが、中身は前述したようにアイドルみたいな可愛げはなく、生意気な少年といった感じの性格をしている。その辺りがよく表れるのが店長や秋月くんとのやりとりで、自分の可愛さを一ミリたりとも認めない店長に対しては特に口が悪くなる。雪の日に男二人の顔面目掛けて雪玉を投げつけたり、店長をヘタレクソウンコと罵倒したり、髪を切りすぎた秋月くんに「ぶはははははっ、だっせぇーー! 中坊じゃん!!」と爆笑してこめかみをグリグリされたり、後述するひでりの過去が関係するエピソードではある相手に対して照れ隠しに幼稚な悪口を吐いたり、クソガキという言葉がよく似合う生意気さを見せる。また秋月くんのことは時折パイセンと呼ぶことがあり、秋月くんの方も男のひでりには遠慮がないので、何だかんだいい関係性を築けているように思える。ちなみに私は秋夏帆のエピソードより、成り行きで秋月くんに無理やり食わされたパフェがあまりに美味くて泣いているひでりがすごく好きだ。

あとはひでりがたまに見せる逞しさも男の娘とのギャップになっている。たとえば初登場回で躊躇なくゴキブリを手で捕まえて逃がしたり、七巻の少年キャラとして接客する話では男性客が開けられなかった瓶の蓋をゴリラみたいな顔をして開けたりするところなんかは好例だろう。おそらく実家の農作業を手伝わされていた影響だが、流行りの男の娘とは一線を画すひでりの個性になっていると思う。

 

意外に息が合うひでりと美雨さん

次に美雨さんとの関係性から、ひでりについて掘り下げていく。

ブコメなどで複数のカップリングを匂わせる、あるいは二次創作でカップリング萌えが盛んな作品では余りもの同士をくっつけたと揶揄されるカップリングも存在する。二次創作に関しては極論を言えば個人の好みによってマイナーな組み合わせも存在する*4ため、二次創作を軸に論じるのは不毛なので無視する。話を戻すと、この作品におけるラブコメの軸は初期から存在する店苺と秋夏帆という見方がおそらく一般的だと思う。店苺は言わずもがな、次いで秋夏帆のエピソードもたくさんあり、最新の七巻はまさに秋夏帆ファン歓喜の内容だった。問題は残りの三人*5だが、麻冬さんはまだまだお友達という関係であるもののイトウくんという相手がおり、追加キャラのひでりと美雨さんの二人が残る。これを複数のカップルが生まれる作品で言われがちな総カプ*6という視点から見た場合、ひで美雨を余りものと捉える人もいるだろう。私もアニメが放映されていた頃にそのような感想を見かけた覚えがある。

で、実際はどうなのかと言えば、私はひで美雨をなるべくしてなったカップリングだと考えている。その最大の理由は、美雨さんが最も活き活きしているのがひでりをいじっているとき、言い換えれば美雨さんの魅力を最も引き出せる相手がひでりだからだ。美雨さんは「ネタにできるようなおかしな事が大好き」と自分で言うように、自身の好奇心を満たすために能動的に動くタイプで、スティーレで悪ノリが一番激しいキャラだろう。そんな美雨さんが遠慮せずに遊べる相手がひでりだ。理由はいろいろあると思うが、「反応が面白くていじり甲斐がある」「おだてやすく、褒めるとチョロい」「下ネタを振っても平気*7」などが主に考えられるだろうか。また、美雨さんと関わりの多い新キャラ隼人くん*8に関して麻冬さんに聞かれた際「(遊ぶには)あの子はピュアすぎて気が引ける」とコメントしているのを考慮すると、ほどよく心の汚れたひでりは格好の玩具なのかもしれない。

ひで美雨のエピソードといえば、三巻の外出先で偶然会って一緒に買い物する話や六巻の日帰り京都旅行に行く話が代表的だが、それ以外にもいろんなところで絡みが見られる。細かいところだと、ひでり&美雨さんが苺香ちゃんのデート服の相談に乗る話での童貞のくだりが私は面白くて気に入っている。

ここまではひでりの魅力をコメディの観点から語ってきたが、もちろん彼にも人間的な魅力が存在している。次はそれについて語らせていただきたい。

 

根は優しくて夢に真剣な男の子

もしかするとナルシストで口が悪くお調子者な面に目が行きがちかもしれないが、ひでりは思っているより性悪ではない。理由はアレだが寝違えて首を回せない苺香ちゃんを治そうとしてあげたり、ひで美雨においても重い荷物を代わりに持ったり、旅行先で疲れた美雨さんを介抱したりと何気ない優しさを見せている。

そして、特にひでりの魅力を象徴するエピソードが二つある。

一つ目は四巻の、ひでりが生主時代に他人の放送の荒らしが許せなくてレスバしてしまった過去が明かされるエピソードだ。回想で敵情視察といってニヤニヤしながらライバルの放送を巡回していたひでりが、誹謗中傷のコメントに目の色を変えるところはとても印象的だった。荒らしのコメントもよく見るとかなり酷いことが書かれており、それがレスバに走ってしまった理由の一つでもあるのだろう。

好きな事頑張ってる人を貶すのは許せなくて…

でも反応して人の放送でバトルする時点で僕も荒らしです

嵐なんて黙ってNGかスルーすべきなんです(ひでり)

出典:ブレンドS・四巻p48 

 当時のことをひでりはこう語っており、自分だけでなく他人であっても夢に向かって頑張る人には敬意を持っていることが伝わってくる。まあ、お礼を言いにきた当時の生主に照れ隠しが高じて「だいだい生放送見てても気づくわけねーですよ! こいつあの時すっげーブスだったもん」と暴言を吐いてしまうのだが*9。ちなみにこの件で美雨さんからの評価も大きく上がっている。

そして、二つ目が七巻の、美雨さんが商業連載を編集者から持ち掛けられた話だ。ひでりは美雨さんの予想に反して、美雨さんの商業デビューを応援する姿勢を見せ、前述した夢に向かって頑張る人への敬意という部分がここでも表れていた。しかし、煮え切らない態度の美雨さんに対して、ひでりは次のような台詞を突きつける。

「前言撤回です、今の状態でデビューしたとしても応援できないです!」

「え?」

「自身の都合も確かに大事ですけど、一番大切なのは美雨さんの好きなものを描いて読んでもらい楽しんでもらいたいという気持ちだと僕は思います。それが二の次になってる間は一切応援できないです!」

「ま…マジレス…」

「聞いた話、アマチュアの今でも一応人気あるみたいですし? 少なからずファンはついていますでしょうし、そういう人たちをガッカリさせない、更に露出増やして知ってもらい楽しんでもらう。そういう気持ちでデビューしてもらわないと応援できないです!」

「ひでりちゃん…」 

出典:ブレンドS・七巻p85

 アイドル志望というのは伊達ではないと感じさせる芯の強さがこの台詞には宿っていた。夢には人一倍真剣なひでりの言葉だからこそ刺さるものがあるはずだ。この話のひでりは作中屈指の男前っぷりだと思う。普段とのギャップでカッコいいところが一際輝いていた。

それとこの話を通して思ったのは、ひでりと美雨さんはアイドルと作家で形は違えど同じ表現者という共通点があり、それもひで美雨の相性の良さの一つなのかなと感じた。

 

まとめ

ひでりの魅力について余すことなく語らせてもらった。私としてもひでりについてここまで発信したことがなかったので、たくさん語れて楽しかった。これを読んだ人に男の娘という枠組みを超えたひでりの良さが伝われば最高だ。六巻は店苺、七巻は秋夏帆と来ているので、八巻の表紙はひで美雨になったりしないかなあと妄想しながら筆を置く。

*1:下ネタに狼狽えたりしないけどおそらく話もしない層

*2:メインキャラの兄弟が登場することはある

*3:店長だけは猛反対していたが

*4:ブレンド・Sを例にするなら秋月くん×苺香ちゃん・店長×麻冬さんみたいな想像しづらいカップリングも二次創作なら存在しうるという感じになる

*5:彩人さんは臨時スタッフなので除く

*6:すべてのキャラを誰かしらとカップリングにすること

*7:成人向け同人誌はさすがに見せられないが

*8:彩人さんの弟

*9:裏を返せばあの頃からすごく可愛くなっているということかもしれない